小栗康平オフィシャルサイト ─OGURI.info http://www.oguri.info/ ja 2009-10-09T14:41:54+09:00 邑の映画会 http://www.oguri.info/notes/2009/10/index.html#000102 昨年の十月、ここで紹介した「邑(むら)の映画会」が今年もまた、開かれます。一回だけで終わらせないぞと、関係されたみなさんが、一生懸命です。子どもボランティアというのも、ここのユニークなところ。アニメーションのよろこび、たのしみが、今年の三つの作品ではそれぞれとても特徴的です。「ピロスマニ」は取り組みとして、まだ早い、分かりにくい、などなどいろいろ意見があったようですが、いいものに、早い、遅いはない、ですね。早ければ早いなりに、遅ければ遅いなりに、見方があるでしょう。とにかく、やること、見ること。

邑の映画会 Vol.2 パンフレットPDF:1
邑の映画会 Vol.2 パンフレットPDF:2

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moguri 2009-10-09T14:41:54+09:00
変な映画館 http://www.oguri.info/notes/2009/10/index.html#000101
「シネマバー ザ・グリソム・ギャング」 http://movie007.hp.infoseek.co.jp/
以前にもブログで紹介しましたが、そうとうに変な映画館です。三十五ミリのフィルム上映で、二十一席しかない、のです。ここで「眠る男」の上映があり、私も呼ばれていて話をすることになっています。今度の日曜日、四日。なんと私はこれで、四回目。全部の作品をやる、ということになっていて、それが一年に一回。来年は「埋もれ木」。そのあとはどうするのでしょう。もうありません。

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moguri 2009-10-01T22:38:14+09:00
ドキュメンタリー http://www.oguri.info/notes/2009/08/index.html#000100
私についてのドキュメンタリー映画が作られることになり、昨日まで三日間にわたってその撮影が栃木、群馬で行われました。監督はフランス人のANTOINE BARRAUD(アントン・バロウ)さんで、フランス国立造形美術センター(CNAP)が出資している企画だそうです。カンヌでお世話になっている通訳の高橋晶子が同行してくださり、監督と録音技師とロケマネと四人のクルーでした。
アントンさんは、『埋もれ木』をパリの映画館で見てくれたのだそうです。たぶんそれまで私のことは知らなかったのでしよう。でも『埋もれ木』に魅せられて、なんと五回も見に行ったとおっしゃっていました。そして昨年、トリノで私のレトロスペクティブ上映があることを知り、そこで全作品を見て、どうしても私についてのドキュメンタリーを作りたくなって、とのことでした。ドキュメンタリーとはいっても実験的なそれで、いわゆるインタビューをただまとめる、といったものではなさそうです。これまでにもケネス・アンガーやツァイ・ミンリャン監督のドキュメンタリーを撮っていますが、ドキュメンタリーというよりはアート映画といったほうが近いかもしれません。どんな仕上がりになるのか、楽しみです。
アントンさんから送られてきた企画書ではタイトルは「La foret des songes」で、(foreのeの上に^がついていている)、「夢の森」「夢想の森」となるのでしょうか。「小栗の映画は、いわゆる古典的な物語の文法を使わず、ゆったりと流れる映画の地に身を投じている。作品はいくつものストーリーが折り重なり、見事なまでに絵画的で、見るものを陶酔へと引き込む、夢幻世界がある。それは観客の身体にまで影響し、物語と魂とを感じるための、もう一つの世界ともなっている」といったことが、企画書の冒頭に書かれています。企画書ですので、勝手にその全文をここに載せてしまうわけにはいきませんが、私が自分でも、なるほどなあ、と思ったこともありました。
「死の棘」のラスト近くのシーン、精神病院の中庭をトシオがミホを探しいる場面を、こんなふうに書いてくれています。「「彼はすでに一つの転換を経たのです。妻が失踪し、中庭から反射する池へとさ迷い歩く夜のシーンは、旅の始まりであり、時間の停止でもあります。この作品以降、小栗監督は物語が一直線上にある映画や、主人公を中心とした映画、また時間に整合性がある映画は撮らなくなり、芸術映画、絵画映画、詩の映画へと向かっていきます」とありました。「死の棘」の夜のプールのシーンは、自分でもここから明らかに映画の世界が変わった、少なくても「死の棘」という映画の中では、ここを「神の広場」として、などと、そんなふうにもとらえてもいましたので、少し驚きました。
「夢想と野生の交差、厳密さとアバンギャルドの交差、神秘主義と具象の喜びの交差―」をとらえるためにインタビューする、となっていました。さて、そんなことが答えられたのかどうか、怪しいものではありますが。(ここに引用した企画書は、高橋晶子さんが訳してくれたものです)。
ドキュメンタリーが完成したら、パリで私のレトロスペクティブを実現したい、そうもおっしゃっていました。どんなことになるでしょうか。それまでに次の映画は動いているでしょうか。

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moguri 2009-08-17T10:51:17+09:00
ゴールデン・アプリコット http://www.oguri.info/notes/2009/07/index.html#000099 photo090731_01.jpg

アプリコットはあんず。映画祭はコンペのグランプリに、金のシュロとか熊とか、それぞれで特徴のある名前がつけられています。アルメニアはアプリコット。ちょうどこの季節、たくさんのあんずが出回っています。どの家にも木を植える土地があればそれが生っている、といったほどです。子どもの頃、私の生家にもあんずの木があって、梅雨時でしたでしょうか、木に登って取って食べたものです。大きな台風でその木が倒れて、以来、あまり口にすることもなくなってしまいました。食べ過ぎるとおなかをこわす、と注意されていたのを覚えていますが、アルメニアでもそうで、いっぺんには、五つか六つというところでしょうか。ただ、そうとうにうまい。記憶にあったあんずよりもずっと甘かった、です。


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メイン開場はモスクワという映画館。隣のグルジアと違って、アルメニアはロシアとの関係をうまく保っている。この映画館もソ連時代のもの。


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グランプリのゴールデン・アプリコットはグルジアの「THE OTHER BANK」(向こう岸)。監督はこれが長編第一作となるゲオルギー・オーバシビリ監督。この映画祭で見つけた、もっとも美しい映画。もっともこころ痛い映画。グルジアの北西部、アブハジアまで旅をしていく少年の話です。ソ連崩壊後、グルジアはとても悲惨な現代史を経験しています。今もなお、です。撮影は半年間だったそうですが、ポスプロのお金がなくて、その後、四年間かかって完成させた、とのこと。昨年は南オセチアにロシア軍が入って、まだじっさいには軍がとどまっている状態。逆に言えば、四年前でなくては撮れなかった作品、でもあるでしよう。なんとか日本での公開の道を探りたいものです。賞金は五百万円ほど。


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授賞式の翌日、それぞれのセクションの審査委員長が出席しての、記者会見。私は長編映画の部門ですが、他にドキュメンタリー、アルメニア・パノラマ部門、FIPRESCI(国際批評家連盟賞)、ECUMENICALなどがありました。


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レトロスペクティブとして私の五本の映画が上映されたのですが、その会場で、映画祭のディレクターで、映画監督のハルチュン・ハチャトリアン監督から、「マスター」という称号のついた特別賞をいただきました。「死の棘」の上映にしか私は立ち会うことはできなかったのですが、スタンディング・オベーションで、ものすごくよろこんでくれました。もう十九年近く前の作品なのですが、今頃になって、映画を落ち着いて楽しんでくれている、そんなふうにも私には思えました。また、つづきを書きます。

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moguri 2009-07-31T20:58:47+09:00
つづき-2 http://www.oguri.info/notes/2009/07/index.html#000098
エレバンは街の建物が凝灰岩といわれるものでできています。火山の噴火でつくられた、やわらかな石らしく、88年の大地震後は、鉄筋コンクリートで建てて、いわば仕上げにこの石を使っている、とのことでした。色は薄い赤、というより赤紫でしょうか、ときどき黒いそれもあるのですが、おおむねは赤っぽい色です。朝、昼、夕方、そして暮れぎわと、光が変わっていくたびに、その薄い赤紫の色が、じつに微妙にその表情を変えていきます。パステルと水彩との中間のような、どっちにしてもやわらかな色調で、なんだかうっとりとしてしまいます。けばけばしい色は建物には見当たらず、街が同じ色合いで広かっているさまは、いいものですね。高い建物も出来てきてはいますが、どこでもこの化粧は忘れていないようで、まだまだ大丈夫、といった感じではあります。
映画祭のほうは、昨日、すべての審査も終わり閉幕しました。私が担当した長編部門では「THE OTHER BANK」というグルジアの映画がグランプリ、ゴールデン・アプリコットを受賞しました。ゲオルギー・オーバシビリという監督の、長編第一作の作品です。後日、詳しいことを書きたいと思っています。海外では、思いのほか時間がなくなってしまうものですね。なかなかパソコンを開けられません。明日は早朝に、グルジアへ移動します。グルジアはわずか三日間ですので、後は帰国してから、ですね。

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moguri 2009-07-19T23:33:00+09:00
つづき http://www.oguri.info/notes/2009/07/index.html#000097

あの後、一昨日はどの映画館でも、上映前に全員が起立して黙祷するようになりました。事故とはいえ、悲惨なことです。安全が脅かされる、おろそかにされる、といったことがあちこちで起きていはしないでしょうか。
コンペの作品は十二本。国際映画祭としては多いほうではありません。ただアルメニアやグルジアなどの国々の、新しい映画はこうした機会がないとなかなか見られませんから、いい勉強にはなります。アルメニア人は、世界中にじつにたくさん散らばっているのだそうです。これもジェノサイドがあったからではあるのですが。その散らばったアルメニア人がさまざまのところで活躍していて、この映画祭にも直接、間接に関わっています。そこがなかなか面白い。
審査員は私を入れて六名。表決が三対三になったときには、チアーマンである私がもう一票投票する権利をもつ、といったことになりそうです。しかしその私が外国語が駄目で、通訳を介しての議長でもあるわけで、これは容易ではありません。みんさんそれぞれの意見を強く持っている人たちばかり、なのですから。

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moguri 2009-07-17T13:34:50+09:00
アルメニア http://www.oguri.info/notes/2009/07/index.html#000096   
 モスクワ経由でアルメニアの首都、エレバンに入る。モスクワでの乗り継ぎが六時間。これが堪える。モスクワは夜九時になってもまだ日差しがあった。フライトはようやく日暮れた、夜の十一時十五分。飛行時間は三時間ほどだが、到着は現地時間、深夜の三時半である。到着前に健康チェックの用紙が配られたが、入国カードはもらえなかった。ビザを空港で取ることになっていたので、さてどうしたものかと不安になった。しかし、飛行機を降りると、私の名前を書いたボードを持って、空港の女の職員の人がすぐ目の前にいて、その人に連れられるまま、もう一度地上に戻って、歩いて建物に入る。そこで映画祭の人が待っていてくれた。手荷物のタグとパスポートを渡して、ビザの取得と荷物のピックアップをしてくれる。通常のイミグレーションは通らない。ありがたいけれど、なにやら旧ソ連ふうのやり方だなあと、思う。三年前、ウラジオストックの映画祭に呼ばれたときもそうだった。私は英語もほとんど駄目なので、いつも通訳の人にお世話になる。今回は五十歳を越える大ベテランのカリンさん。アルメニア人女性である。こんな時間なのにいっしょに出迎えてくれている。ありがたいことだ。
 と、ここまで書いてネットを見たら、イランからアルメニアのエレバンに向かった飛行機が墜落、百何十人が絶望か、とある。そういうルートの選択もある、とも聞いていたので、その記事をそのエレバンで読んでいることに、自身で驚いている。心配してくれている人がいるといけないので、途中でこれをアップします。私は元気です。もう映画を六本見ています。時間がなくて、続きはまた。とりいそぎ。
 

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moguri 2009-07-15T20:31:57+09:00
アルメニアとグルジア http://www.oguri.info/notes/2009/07/index.html#000095
来週からアルメニアへ行ってきます。映画祭ですが、なんとお隣がグルジア。『ピロスマニ』以来、長年焦がれてきた国ですから、ここは是非にと思っています。映画祭が終わったら、三日ほどの予定ですが、グルジアへも行ってきます。まだ連絡は取れていないのですが、ゲオルギー・シェンゲラーヤ監督と会うのも楽しみです。ロシアとの戦争は終了したということになっていますが、政情は不安定。必ずしも安全ではないようですが、大丈夫でしょう。気をつけて行ってきます。

昨年の十一月、トリノで私の特集上映があり、そのときにアルメニアの映画祭のスタッフです、という若い女性から、同じ企画をアルメニアでもぜひやりたい、と声をかけられたのです。こうしたお誘いは結局のところ成立しないことが多いのですが、なんと一年も経ずに実現してしまいました。GOLDEN APRICOT Yerevan Interernatinal Film Festival が映画祭の正式名称で、今年が六回目になるとのことです。URLはhttp://www.gaiff.am/en/
最初はただゲストとして参加する、でしたが、マスタークラスでの二時間ほどの授業をしてほしいと要請されて、それを受けました。そうしたら今度は、映画祭のディレクターで映画監督でもあるHaruttyun Khachatryanさん(私は存じ上げていないのですが)が、私の映画を見てすごく気に入ってしまい、コンペの審査委員長を受けてほしい、と言ってきました。どうせ行っているのだからと、こちらの話もお受けしたのですが、泥縄式、というか、どうして急遽そうなってしまったのか、私にはよくわかっていません。私は都合で一日遅れての合流になるのですが、着いてからのスケジュールはびっしりとつまっているようです。あまり遊びには出歩けそうもないのですが、カスピ海と黒海に挟まれた、コーカサス山脈の南側の、小さな国。魅力的ではあります。映画祭が行われる首都エレバンには、パラジャーノフの美術館だか博物館があるそうで、それも楽しみです。パラジャーノフ監督はグルジアかと思っていたら、アルメニア人だったのですね。
行って見てから、のことですが、出来る様だったら、現地からレポートを送ります。

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moguri 2009-07-09T16:37:26+09:00
テレビ放映 http://www.oguri.info/notes/2009/06/index.html#000094
もう六月です。もう、というのは、なにもしないうちに、なにもできていないうちにと、いつものことながら思うからでしょう。「埋もれ木」がテレビで放送されます。NHK-BS2で、六月二十六日の0時40分からです。零時ですので、二十五日、木曜日の深夜、ということですね。ただ、NHKですので、国会の動き次第でどうなるかは分かりません。もちろん解散総選挙などということなれば、すぐに番組は飛んでしまいます。災害時は、言わずもがな、ですが。

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moguri 2009-06-01T12:57:56+09:00
グラビア http://www.oguri.info/notes/2009/05/index.html#000093 月刊の「文藝春秋」誌に「同級生交歓」というグラビアページがあります。六月十日発売の七月号で、私と池田政治くんとの写真が載ることになっています。池田くんとは前橋の第二中学、前橋高校といっしょでした。学生時代にとくに親しかったわけではないのですが、私が大学を終えてフリーの助監督になり、池田くんがデザイン事務所に入ったり、大学の講師をしたりするようになってからよく会うようになりました。いわば助手時代に、励ましあう、といったことだったでしょうか。もちろんそんなことは口にはしないし、将来の夢、などというものもお互いに語ることもなかったはず。でも俺もやっているからお前もやめるな、そんな了解があっただろうと思います。私は彼の木彫の抽象が好きです。その池田くんがこの四月から東京芸大の美術学部長になりました。上野で撮ってもらった写真に、私が短い文章を書きました。エッセイというよりはコメントといったところですが。「文藝春秋」は友人の平松礼二さんが毎号、表紙の絵を描いています。2000年からですからもう十年近く続いていることになります。『眠る男』で、板戸に月と白梅の絵を描いてもらったのが95年のこと。みんなそれなりに歳を経てきました。

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moguri 2009-05-26T19:34:27+09:00
http://www.oguri.info/notes/2009/04/index.html#000092 旧暦に七十二侯があります。二十四節季の一区切りをさらに三つに分けて、季節の変化をより具体的に教えてくれる、暦の知恵ですね。二十四節季までは、言われれば、ああ、そうかという程度までには知っていますが、七十二候ともなると、ええ、そうだったの、とあらためて納得することが少なくありません。三月の三十日が七十二候の「雷乃発声」、らい、すなわちこえをはっす、となっています。昨夜から栃木では強い風が吹いて、雨になりました。予報では雷をともなうとされていましたが、雷の声は発せられませんでした。明後日の五日、日曜日が、二十四節季の「清明」で、草木の花が咲いて、万物が清らかになる、とされる日です。

自然はそのように巡ってくれますが、人はなかなかうまくいきません。私の場合は、もう四月、とため息が口をついてしまいます。映画の動きがお知らせできなくて残念ですが、この四月から、たぶん二年間、月に二回、新聞のコラムを持ちます。東京新聞の朝刊、芸能欄の「言いたい放談」というものです。隔週の月曜日が私の担当ですが、一回目は新聞休刊日に当たっていて、四月二十七日からだそうです。映画を撮れない理由を八つ当たり気味に書くのならいくらでも書けますが、芸能欄とはいっても中味はなんでもいいとのことですので、そのときどきで思いついたことを、といったことになりそうです。

四月の十五日に「ポレポレ東中野」で、本橋誠一さんとのトークがあります。写真家、本橋さんの三作目の映画「バオバブの記憶」が上映中で、トークは夜の回の上映終了後です。私とのトークはさておいて、未見の方はぜひ、映画を見てください。無理やり作ったような、流行のエンタメと称する映画よりも、見ていて楽しくなります。バブバフの樹形がなんとも面白いですよ。

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moguri 2009-04-02T14:36:25+09:00
再放送 http://www.oguri.info/notes/2009/02/index.html#000091
昨年十一月に放送された「新日曜美術館・ハンマースホイ」が好評だったために、下記の日程でアンコール放送したい、とNHKから打診がありました。もちろん私には異存がないので了解、と返信しました。よく出来た番組でしたが、出演者としては喋りすぎているように思えて、よき按配というのが難しいなあと、というのが感想ではありました。とくに専門外のことについては、心しなくてはなりませんね。

再放送予定日
3月8日(日)夜8時~9時(この日の放送は夜のみで、朝の放送はないそうです)

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moguri 2009-02-25T20:03:43+09:00
あけましておめでとうございます http://www.oguri.info/notes/2009/01/index.html#000090 今年はこのホームページもリニューアルしてもらおうと思っています。でもそのためには新しい映画が始まって、というのが通常でしょうが、困ったことにまだ、まだです。せめて気分を変えて、せいぜいやってみるつもりではおります。本年もよろしくお願いします。

トリノ映画祭からNew Year greetings のメールが届きました。映画祭のディレクターがナンニ・モレッティからジャンニ・アメリオに代わったという知らせでもありました。政治がらみかどうかはわかりません。

群馬県で、前橋選挙区の県会議員補欠選挙が行われます。投票日は一月二十五日。私はこの地域に選挙権をもっていませんが、該当する方がおられましたら、後藤新(ごとうあらた)さんを支援してください。
94年だったでしょうか、後藤さんは、「眠る男」の脚本が上がったときの、群馬県の秘書課長でした。当時の小寺知事が全幅の信頼をおいていた方で、後藤さんは脚本を読みこんでくださり、いいじゃないですか、やりましょうよ、と大いに話を進めてくださった方です。後藤さんはまだ三十代の前半だったはずです。その後、県の出納長になり、三年ほど前に、小寺さんが後藤さんを副知事に、という人事案件を議会に提出しました。ところが、自民党県議団にこの案件を否決されてしまったのです。否決の理由は、二人とも(小寺さんも、後藤さんも)自治省の出身だから、というものでした。もちろんこれはただの言いがかり、です。二人とも群馬県に移り住んで、群馬県民として働いてこられたのですから。落下傘候補などとは違います。問題は後藤副知事を認めては、次の知事を自民党からとれない、と心配しただけのことです。ご承知のように、先の知事選で小寺さんは僅差で敗れました。そのときのことですが、元県議の某候補が民主党の、一部の応援を受けて知事選に出馬し、盛んに「眠る男」批判を展開していました。結果としては、その候補者も敗れて自民党公認の現知事が当選したのですが、今度はその某候補が、なんと自民党の公認を受けて補選に出馬するというのです。変節漢はどこの世界にもおりますが、考えなくてはいけないことは、保守王国といわれ続けてきた群馬県では、地方自治までがいまだに自民党のエゴによってふらふらしてしまう、という、相当に時代を錯誤している現実、についてです。
後藤新さんのホームページは、http://gotoarata.com/ です。

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moguri 2009-01-02T23:12:27+09:00
トリノ http://www.oguri.info/notes/2008/12/index.html#000089 トリノ映画祭は今年が二十六回目。ナンニ・モレッティがディレクターを務めて二年目だそうです。モレッティは左派を代表する映画人とのこと。イタリアは現在、右派の政権ですが、映画祭は観客の入りも良く、評判もいいので、モレッティは来年も続くのではないか、などと噂されていました。そのモレッテイが、あなたのレトロスペクティブが出来たことをみんなが喜んでいると、私に伝えてくれました。
トリノはコンペ部門もあり、今年は日本映画はコンペには入っていませんでしたが、別な部門で「連合赤軍」が上映されていて、若松孝二監督と現地でお目にかかりました。もう四半世紀前のことになりますが、若松さんが監督協会の新人賞の選考で、私の「泥の河」を強く推してくれたのだそうです。以来、なんとくかわいがってもらっている、といった雰囲気があるのです。若松さんは、亡くなられた大和屋竺さんが「荒野のダッチワイフ」という映画を撮られたときのプロデューサーで、私はまだ学生でしたが、助監督見習いのような形で現場に入れていただきました。
北イタリアは初めてだったのですが、トリノはじつにきれいな町でした。見事なアーケード、というより回廊といったほうがいいかもしれませんが、それが街中のいたるところにめぐらされていて、町の大きさもほどよく、散歩するのも快適でした。ホテルから映画館までは徒歩で十五分あまり、私は毎日、歩くコースを変えて街を楽しみました。
ヨーロッパはどこでもそうかもしれませんが、トリノでも最終の上映は夜の十時からです。そんな遅い時間でも、観客たちが並んで開場するのを待ってくれているのを見ると、ありがとうございますと、声をかけたくなってしまいます。
ローマに立ち寄って、帰国しましたら、キューレーターのマッシモさんからメールが入っておりました。下記に転載します。


ローマでの日々は充実されていましたでしょうか。帰宅して落ち着かれたころと思われます。
26日をもってTURIN映画祭は終了したが、改めて、ご参加いただいたこと、そして上映にさいしてすばらしいお話をいただけたことに対して、感謝の意を表したいと思います。映画祭に監督ご自身にご参加 いただけたことは意義あることでしたし、最後の最後まで映画館は人で埋め尽くされておりました。そして、観客が上映を楽しんだことはまぎれもない事ですが、期間中に町中やモールで、何度、映画に感激した、という人に呼び止められたことか。
映画祭を成功に導いていただいたことに、深く感謝するとともに、(監督のレトロスペクティブは成功に終わると確信しておりましたが) 観客に監督の映画を見ていただけたことを、誇りに思っております。映画祭が監督にとって、そして我々にとっても、よい思い出となること を祈っております。最大限の敬意を表したいと思います。

マッシモ・カウーソ

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moguri 2008-12-08T13:04:27+09:00
トリノ映画祭 http://www.oguri.info/notes/2008/11/index.html#000088
今年の春先、トリノ映画祭からこのオフィシャルサイトのアドレスに英文のメールが入りました。私の英語は中学一年生程度で、トリビュートと記されていたので、なにか私に贈り物でもくれるのだろうかなどと思ったのですが、そうではなく、私の全作品を上映したい、ついては過去、三本の映画の、英語字幕入りDVDを送ってほしい、とのことでした。以下はその後に届いた、特集上映の担当者からのメールです。私の翻訳ではありません。

私はトリノ映画祭の「ゾーン」部門キュレーターを担当しているマッシモ・カウーソといいます。既にご存知だと思いますが、11月21日から29日に行われる、26回目となる当映画祭において、小栗作品のトリビュート上映を企画していましたが、それが実現できることになりました。イタリアで小栗映画全作品を上映できることを喜び、また光栄だと考えているのは私一人ではないということを信じてください。「埋もれ木」と「眠る男」(90年代から今日までに製作された日本の映画で最高峰の映画)は 大変、気に入りました。そして、最近、他の三作品全て観ましたが、それらによってあなたに対する敬意は揺るぎないものとなりました。そういう意味でも、今回のトリビュート企画は非常に光栄なことです。 さらに、今回、メールをさし上げたのは自己紹介も兼ねてはいますが、映画祭にゲストとしてご招待さしあげたいからでもあります。あなたの参加はトリビュート企画にとって非常に意義のあることですし、観客にとりましても、映画を通してだけでなく、あなたに直接会い、人柄を理解してもらうことも大切だと思っておりますので、ぜひともご参加ください。

ありがたいことですので、行ってきます。このところ韓国、イタリアと回顧上映のようなことが続き、どうも死んだ人みたいでいけませんね。早くに次をと考えてはいるのですが、それがなかなか、、、

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moguri 2008-11-18T17:36:01+09:00