手記バックナンバー
2007年05月
往復書簡
2007/05/16
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このホームページの上のほうに「往復書簡」という窓ができているのにお気づきでしょうか。哲学者の内山節さんとは群馬県の関係でいろいろお付き合いさせてもらっています。私がどこまで深めていけるのか、覚束ないことではありますが、尊敬する哲学者との対話を試みてみます。
○ お知らせです
日本詩文書作家協会の主催で、六月五日から十日まで、東京セントラル美術館で「現代の俳句と書の世界」という展覧会が催されます。なぜか、どうしたわけか、その展覧会の特別企画として私が呼ばれ、講演することになりました。タイトルは「言葉のすき間」です。六月六日の午後二時から、同会場で。日本詩文書作家協会の連絡先は 03-5397-8034です。
○ 以下はコラム転載のつづきの、つづき、です。
2006/9/12 掲載 遡上
この夏、鮎の友釣りというもの初めてやった。私などは、最初から一匹、おとりの鮎が釣れた状態(?)で始めるのだから楽しいに違いないと思う程度だから、もちろん釣果は期待出来ない。でもいろいろ知らないことばかりで、面白い一日だった。
友釣りには、友だちの「友」の字から連想するような、やさしいイメージはなかった。鮎の縄張りの習性を利用した、静かなる闘争、といった感じがしないでもない。おとり鮎を川の瀬からゆっくりと流れに導いて、狙いの石へと赴かせる。強制するのではなく、自分でそこへ泳いで行くようでないと駄目らしい。このあたりの負荷のかけかたがなんとも微妙で、のめり込んだら病み付きになるのもうなずける。
それにしても釣り人が多いのに驚いた。道具も装束もこれぞと思う商品を競うから、結果として、どうしてもみんなが同じ格好になる。初心者としてはこれがいささか面はゆい。
鮎が一年魚であることも私は知らなかった。九月に入れば体長は二十五センチにもなるという。今はどの川もそうらしいが、天然で遡上する鮎はほとんどいない。それぞれの漁協で放流した稚鮎が育ったものだ。私の疑問は、漁協がいくら放してもどこへ行ってしまうか分からないでしょう、というものだったが、意外なことに、いったん生けすで育てられた稚鮎は、川へ放たれてもそこからはあまり遡上しないものらしい。なんだかちょっとがっかりはしたけれど、漁協ごとに鑑札が違うのも、それで納得である。来年、また友人に連れて行ってもらうことになっている。
2006/9/15掲載 雨の音
連日の雨である。うっとうしい日が続きますね、というのが決まった挨拶だが、秋の長雨はいつものことだから、今年も順調に季節が巡っている証しではある。
近くの畑でゴボウが葉を茂らせている。フキの葉ほどの大きさがあるけれど、葉はフキよりやわらかそうでくびれてもいて、それが隙間もなく畑を被う。ここに雨が降る。雨脚の強弱にもよるけれど、この葉に落ちる雨の音がいい。いつかこれを条件のいいときに録音して映画に、と思っているがまだ果たせない。
音色というけれど、じっさい音には色がある、と思える。色が千変万化して私たちの、目に見える世界を豊かにしているのと同じように、音も音色、遠近をそれぞれに異にして表情をつくる。ことに自然音はそうである。冬の風が屋根の枯れ葉を飛ばすとき、その音色にひかれて私は音の行方を追う。音は見えないから、いつでも不意に聞こえてくるのだ。だからだろうか、音は真っすぐこころに入ってくるように感じられる。
都市のビルの間にあっては、こうした自然を聞くことが出来なくなった。聞こえてくるのは人口音、電子音ばかりで、音程に変化はあるものの、音色は均一である。
傘の花が咲くなどと形容するほど、傘はカラフルである。色はそのように多様なのだから、音もそうしたらどうだろうなどと、私は夢想する。傘の素材によって雨音が異なる。今日はこんな音を聞いて過ごそう、そう思えれば雨の日も楽しいに違いない、と。
「埋もれ木」の上映と対談
2007/05/07
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埋もれ木
下記の催しが予定されています。大学内でのことですが、参加は自由とのことです。
日時: 2007年6月1日(金) 16時30分
場所: 慶応義塾大学日吉キャンパス来往舎シンポジウムスペース
第一部: 小栗康平監督最新作『埋もれ木』上映会 16時30分~1
8時30分
第二部: 対談「映画を見る眼と今を見る眼」 18時30分~19時
30分
小栗康平(映画監督) 橋本順一教授(慶応義塾大学)
司会 小菅隼人(慶応義塾大学)
主催: 慶応義塾大学教養研究センター日吉行事企画委員会
問い合わせ先
hy-happ@adst.keio.ac.jp
○ 以下はコラム転載のつづき、五回目です。
2006/8/29 タイトル リハビリ
知人が脳出血で倒れた。出血は脳の広い範囲にわたってしまっていたらしい。でも幸い手術が成功し、一命はとりとめた。その後もゆっくりではあるけれど回復して、先日リハビリセンターへと移った。
意識はずいぶんはっきりしてきたけれど、まだ正確ではない。脳に記憶の層のようなものがあるとすれば、そこを辿る順番がときどき乱れる。口にする事柄はじっさい過去にあったことではあるけれど、それが思わぬことと結び付く。私たちが夢を見ているときはこんなことなのかとも思う。
センターでは日に三回、それぞれに一時間以上かけて、言語と身体の訓練をする。意外なことに、ものを飲み込むという、もっとも簡単に思えるようなことがじつは難しい。なんとも危ういバランスの上で私たちは生きているのだと、つくづく思う。
半身が不随の状態だから、まだ自身で身体の中心を意識出来ない。台に寝かせてベルトを締め、その台を立てて人工的に立った状態をつくる。あるいは風船を手で突き合って、平衡感覚を刺激する。それらの機能回復のプログラムは、身体や意識の、いわば土台となるところから一つ一つ組み立て直していっているように、私には見える。
こうした一連の取り組みを患者と専門家がすべて一対一でやる。人が人に向かい合うことが基本なのだ。そんな様子を離れて見守りながら、ああ、なんでもそうだと胸が熱くなる。
私は、すでにある「私」というものを、誰かにその土台から組立て直してもらえるだろうかなどと、あらぬことを考えた。
2006/9/5 タイトル ケータイ
携帯電話の一般的な呼び名は「ケータイ」あるいは「ケイタイ」というところだろうか。きれいな言葉ではないが、いったんこれを持ってしまうと、なかなか離せなくなる。
便利さに隠れてこんなこともある。二年前のことである。
映画「埋もれ木」で主役を一般公募した。設定は女子高校生である。写真を添えて郵送というのがこれまでのやり方だが、御時勢だから当然メールでも受け付けた。短い作文を義務づけていたこともあってのことだったろうか、応募は予想に反して郵送の方が上回った。締めきりの二週間前で、その数はほぼ五千、もう少し増えないだろうかと相談したところ、友人があるケータイのサイトを紹介してくれた。
女子高校生がそのサイトに顔写真を送り、男の子たちが投票して毎月、ナンバーワンを決めるところだという。いささか怪しげだが、今の高校生は新聞など読んでいないのだからという意見もあって、ここに公募のお知らせを流してもらった。
効果はてきめんだった。一週間でなんと千件に近い応募があった。ケータイというパーソナルな道具を使い、「社会」を経由しないで集う、独自な仮想世界があるのだろう。そこに情報が届いたということになる。
この手の類いはきっと数多くあり、若年化した大人たちもそうした世界へと入って行っているに違いない。しかし問題はそこからどう「現実」へ戻ってくるか、である。公募は二次から面接になるが、このサイトからの応募者は、ほとんどが面接会場に来なかった。



「はしか」の流行で、慶応では今週のすべての講義と学校行事が取りやめになったとのことです。六月一日に予定されていた「埋もれ木」の上映と対談も中止になりました。再度、日程を調整してとのことですが、とりいそぎお知らせします。
○ 以下、転載の七回目です。
2006/9/26 掲載 一人前
とりたてて温泉地と呼ばれるところではなくても、町や村にはおおむね一つ、公営の温泉がある。竹下内閣の「ふるさと創生資金」が引き金になってのことだ。深さとそれに要する経費の問題だけで、掘ればいたるところで温泉は出るらしい。ただ湯量が十分で泉質もいいとなるとやはり限られる。
私も湯が好きで、近いところはあらかた行っているけれど、多くの所が温泉とはいっても循環型で、消毒のための塩素臭が鼻につく。
穴場は前橋の駅前で、ケヤキの並木を二、三分歩いたところ。ここは民間だけれど、街の中にこんな湯が湧くことに驚く。いうところの掛け流しで、伊香保の茶色の湯に似ている。
湯はさほどではないとしても、町や村の公営の温泉のいいところは、そこが地域の寄り合いの場になっていることだろう。顔なじみらしい人たちが湯に浸かりながら、のんびりと話をしている様子はなかなかいいものだ。
田舎の人たちは都市部の人たちより、身体が立派である。とくに六十代後半から七十代の男たちがそうで、専業かどうかは分からないけれど、たぶん農業にたずさわってきた人たちだろう。まだ筋肉も落ちず、贅肉もない。
不思議なことだが、そうした人たちに限って、顔がいい。顔に味があって、なんというか揺るぎがない。一人前の人間とはとはこういうことか、と思える顔である。労働がそれを作り上げたのだろうが、それだけではないだろう。なにに向かい合って生きてきたのか、その違いの現れではないかと、私には思える。
2006/10/3 掲載 暴力的
ベトナムの映画人たちと話す機会があって、日本映画は暴力的なシーンが多い、なぜですかと質問された。そうではないものもあるけれど、ベトナムの人たちから見れば、暴力シーンがあるないにかかわらず、日本映画が暴力的に感じられる、そういうことだろうかと考えた。
暴力、あるいは暴力的な言動も映画やテレビで見慣れてしまうと、いつの間にかそれはそれでそういうものだと、見る側もさして疑問も持たなくなる。ののしり、苛立ち、軽蔑し、ささくれ立つようのやりとりまでその範疇に入れれば、そうではない映画やテレビを探す方が困難なほどだ。冷静になって見回してみれば、国中で不満を言い争っている印象さえある。
ベトナムに限らず、タイ、インドネシアなど東南アジアの映画を見て共通に感じるのは、霊魂とか精霊といった見えないものへの人々の思いのあつさ、である。これをただ、信仰の問題だと片付けてはいけない。ものを見る目、こころのありようのことだ。映画は目に見えるものを相手にして成り立っているから、人々が見えないものへの想像力、配慮といったものを欠いていくと、映画はとたんにゴツゴツし始める。描写もとんがって、含みが消えていく。その分、言葉が過剰にもなる。
ベトナムは悲惨な現代史を生き抜き、今は社会主義体制のもとでドイモイ(刷新)政策を進めている。傷はまだ癒えてはいないし、抱えている矛盾も深い。過ぎ去っても悲しみは消えない、彼らからそんなふうに言われると、暴力的なのは私たち自身のことだとも思えてくる。