小栗康平 手記カテゴリー
コラム
田村高廣さん
2006/05/31
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コラム
田村高廣さんが急逝され、29日、追悼番組として「泥の河」がNHK-BSで放送されました。
何人もの方々から「泥の河」を見たと、このホームページにメールを寄せていただいております。
ご返事を出せませんが、産経新聞に高廣さんの追悼原稿を書いています。読んでください。
Sankei Web 「追悼 田村高廣さん」
www.sankei.co.jp/news/060530/bun109.htm
映画出演?!
2006/02/16
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コラム
日本映画監督協会が創立七十周年の記念に映画を作りました。タイトルは「映画監督って何だ!」(監督・脚本伊藤俊也)。
こともあろうか、その時代劇部分で私が管徳右衛門、通称、管徳という傘貼り浪人の役を演じています。坂本順治さんが私の相方で、花魁。長屋の悪徳の大家が若松考二さん。協会員150名が大挙出演というものですが、詳細は日本映画監督協会のホームページをご覧ください。
日本映画監督協会ホームページ
http://www.dgj.or.jp/
上毛新聞のコラム
2006/01/22
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群馬県の地方紙、上毛新聞に「私の教育論」というコラムがあり、先週の日曜日、15日、ここに「映像教育で、新しい視点」を書きました。群馬県外の人は目にしにくいでしょうから、下記に転載します。
子供の命が奪われる事件が続いている。その一方で犯罪そのものが低年齢化し、凶悪化してもいる。加害者と被害者が同じコインの裏と表でともに息をひそめているかと思うとなんともやりきれない。
こうした事件や犯罪の背景を探ろうとするときに、バーチャル、仮想現実という言葉が度々報じられる。その論旨を簡単に言えば、アニメーションをはじめとして、映像という作られた世界で自己形成してきたことの歪み、ということになる。パソコンのゲームの中でなら、相手をやつけさえすればその対象は簡単に画面上から消えていく。血も流れず痛みもない。
しかし、そうであるとしても、その歪みを正すために今なにをしたらいいのかという発言は聞こえてこない。あるのは「いのち」の教育といった漠然とした抽象論だけだ。道徳とかしつけといったことに矮小化されることも多い。
ここには、大人たちは安全で正しく、子供たちだけが危険で危なっかしい、と考える誤解、欺瞞がある。映像が作られた世界だとしたら、それがどう作られていて、その虚構性はなにを根拠にして成立しているのかを、大人たち自身がなぜ知ろうとしないのだろうか。ひどいときには特定の一部の映像ソフトだけを槍玉に上げてことをおさめる。
私は一昨年から、群馬の先生方といっしょに「映像教育」の実現に向けて取り組んでいる。公教育で、教科としての「映像」を学習してほしいからだ。昨年は県の教育委員会によって二校の教育実践校が定められた。総合学習の時間を使って授業が可能になった。対象は小学校六年生である。一部の私学を除けば義務教育の中でのこうした実践は全国的にも初めてのことである。
前例がないからこの取り組みは手探りである。教育課程としてのカリキュラムもまだない。しかしだからこそ、教育に新しい視点を導入出来ると私は考える。数値化しえない教育の一端を担うものだとも思う。
ようやく途についたけれど、まだ多くの教育関係者にとっても、この取り組みの優先順位は高くない。このいそがしいときになにを物好きな、といったところが実感かもしれない。でも断じてそうではない。緊急かつ必須の取り組みである。
事件が起きると学校は安全を確保するためにと、まずは校門を固く閉ざす。地域でも監視の目を張り巡らそうと努力する。それはそれで必要なことではあるだろうけれど、本質的なことではない。地域に学校を開いてこそ、子供たちは豊かに育つ。映像の教育も学校内で完結することではない。
RE・あけましておめでとうございます
2006/01/03
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一日にアップされるように手続きだけは済ませた、つもりでしたが、公開日指定、というのが誤っていたようで、今日、実家から戻りマニュアルで一日分をアップしたところです。年初めからつまずいて、なんだか前途多難な感、ありです。
昨年は「埋もれ木」でお付き合いいただき、ありがとうございました。映画は原稿と違って、いったん自分の手を離れると、もうなにひとつ触ることも変更することも出来ません。こうだったかもしれない、そう思うところもなくはないのですが、文字通り後の祭り。祭りは終わってしまったのですね。条件が整えば残されたと思える宿題を次作ですぐにとりかかりたいところですが、これがなかなかに簡単ではありません。でもこれまでのように時間ばかりかけてはいられなくなりました。私も六十代です。針の穴でも通して、チャンスをつくっていこうと思います。
一昨年から小学校での「映像(映画)教育」の試みを始めています。群馬県の教育委員会がようやっと重い腰を上げて、昨年は二校の教育実践校を定めて公開授業までこぎつけました。対象は六年生で、総合学習の時間を二十何時間、映像の学習に振り当てています。もちろん教えるのは学校の先生たちですが、私はそのサポートです。二年間、先生方に「映像」について学んでもらいました。今年はある程度、汎用性のあるカリキュラム作りまでもっていきたいと考えています。
なんでそんなことを、と思われるかもしれませんが、ここまでだらしのない映画、映像が氾濫していくことに耐えられないからです。映画が商業として質的な幅をもっていたときにはことさら映画、映像の学習をしなくてもおのずと育つなにものかがありました。今はそれが奪われてありません。そのひずみはより小さな子に集中していくでしょう。映画はもとよりバーチャルな世界ですが、であるからこそそこにどんな感覚が潜んでいるかを伝えたいと思います。折にふれ、これからも書いていきます。
スペインの映画祭、その後
2005/12/13
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通訳をサポートして下さった、ヒホンの「スズキ」に勤める加藤圭子さんからメールが届きました。映画祭終了の翌日、各紙がいっせいに審査結果についての異議を表明し、そのなかで「埋もれ木」についても触れているのでお送りします、というものでした。それぞれの映画を見ていないのですから(私もそうですが)、その意見が果たして妥当なものかどうか、判断できませんが、映画祭、あるいは映画の評価は、このように割れる、いろいろあるという参考事例として転載します。「埋もれ木」の自慢ではありません。軽く読み流してください。
La Voz de Asturias (Marta Barbón) 2005年12月3日
”Ultranova”は第43回映画祭コンペ作品の最優秀作品ではない。それにも拘らず、8人の審査員が票を投じた(国際審査員5人とFIPRESCIの3人)。このベルギー映画のプレス用上映は拍手もなく終了したのだが、この作品が勝利したのは不思議だ。受賞作品の発表記者会見で、この映画の受賞はここ何年もなかったようなそっけなさで受けとめられた。しかし、もっと不思議なのは、審査員の説明の中で、この映画が、「ほとんど精神的な体験」と評されたことだ。受賞理由をよりよく説明していたのは、その美しい短編によりヒホン映画祭で受賞したJan Cvitkovic監督の言葉だろう。”Ultranova”には「記述するのが非常に難しい何か」がある、と語った。でも、私は、ヒホンで称賛や拍手を獲得する映画のそうした「何か」を記述することができる。例えば、”Be with me”の繊細な感動、”Pavee Lackeen” のおどろおどろしさのない過酷さ。また、「埋もれ木」の魅惑的な構成、さらには、“Dark horse”の楽しいシュールレアリズム。これらの作品は何も受賞しなかった。そして、”Crazy”は四つも。これは、クリスマスの宝くじではない、別の宝くじだ。
El Comercio(Paché Mareyo)2005年12月3日
もし、私たち皆が同じものを気に入るとするならば、違う色もなければ違う神様もいないことだろう。もし、皆が同じように感じるならば、この世の中は一夫多妻のたいそう望ましいところであることだろう。
でも、そうだとしても。”Ultranova”…? 審査の結果を見て、自分自身の感覚について自信がなくなったのは確かだ。でもそれは、じっくりと考えさせられるということにおいて、健全なよいことだし、新鮮さを蘇らせることでもある。生憎な事には、可能な限りの主観を排し、賞の理由を反芻した後、さらに悪いことには、考えに考えて、私の頭の中に、そうしたあれやこれやの何ら映画的でないものに対する一定の場所を用意してはみたものの、確信を持って言うが、映画また言葉の愛好家としての私の未熟な判断基準によれば、Bouli Lannersの映画は映画祭の最優秀作品には遠く、拙い作品のうちの一つである(大半はすばらしい作品だった)。
“Ultranova”は私たちに何を語りかけるだろうか。現代のヨーロッパに性急でない民族、大義を持たない人々がいるということ? 荒野は美しい風景だということ? ミニマリズムが存在するということ? しかしながら、本当に、私が問いたいのは、審査員は”Be with me”に何を見なかったのか、ということだ。感動させるだけではなく、ドキュメントとフィクションを組み合わせたスタイルを用い、その人物像は体に滲みこんでくる、これは”Ultranova”にはないことだ。受賞作の中に、なぜ“埋もれ木”のあの驚嘆すべき詩情が含まれていないのか。あるいは“Dark horse”、この作品は、人間ドラマを描くため、コメディーやシュールレアリズムを作り出している。そして最後に、もし審査員が好むのは、「より少ないものがより多い」ということであるならば、面白くて、売り上げのよかった”Crazy”に何故あんなにたくさんの賞を出したのだろうか。この映画は、”Ultranova”の断絶の対極にある。
スペインでの映画祭
2005/12/09
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イベリア半島の北海岸、ストリアス州の州都、ビルバオから車で20分ほどのヒホンという町での映画祭でした。バスク地方をかかえる北部は独立の気概が強いからでしょうか、こうした小さな映画祭にも行政の予算が多く振り当てられているようです。もともとは子供のための映画祭として始まったらしく、43回目を迎えた今回でも「アンファン・テリブル」という子供のためのセクションが残っていて、学校の子供たちが大勢で劇場に来ていました。「映画のことを話すより、君たちが自分で作ってくれ」という16才から23才までの人達を対象にコンクールもありました。「埋もれ木」はオフィシャル・コンペ部門です。私にはいまさら、ではありますが、ぜひにということでの参加でした。公式上映の翌日、新聞三紙が映画評を載せていましたので、通訳をなさってくれた山本紘子さんの翻訳で、その一部を採録してみます。
「EL COMERCIO」紙 12月1日 パシェ・メラーヨォ記者
見出しは「詩を写す」
アジアが私たちの大地を詩で濡らす。「埋もれ木」、あるいは日本の埋もれた森の夢、それは失われた伝統の美しいメタファーとして浮かび上がってきて、映画の言葉のひと連なりとして私たちの前に差し出される。それは金細工の詩人が、人をいつくしむようにして撮影したものだ。それぞれのカットが美しさに死ぬことへの誘いである。強烈に、濃密に、崇高に、それらはこころ震わせる。ときに字幕スーパーを見ることを忘れさせ、一種の「無」の状態におちいって、理解出来ない日本語のダイヤローグがなんの違和感もなく聞こえてくる。なにも分からずに、それでいてすべてを理解する。それぞれの光、動き、まなざし、窓、色、太陽、そして土、はっきりと話すためには映像で十分なのだ。「埋もれ木」のような日本映画によって、西洋の感覚は浸食されていく。ヒホンでの最優秀作品の非常に明確な候補作である。
ちょっと褒め過ぎですね。でもコンペでは全くの空振りでした。よくあることですが。
「LA NUEVA ESPANA」(エスパーナのNの上に~が乗っていますが書けません)紙 12月1日 G・C・ヘア記者
上映が始まってしばらくすると、深い感覚の中で思考がいろいろな方向へ動く。そして視線のおもむくところ、びっくりするとかドキドキするとかとはまったく異なるエクスタシーを味わう。そのうえに、そのことははっきりと意識しなくてもかまわない。映画の最後に出てくる紙風船が揺れているように。でもそこには丁寧な仕事によって、深い錨が下ろされている。「埋もれ木」はなににもまして美の追求の試みである。それは美を追求する形式を追うのではなく、映画の通常の考えから抜け出して、「詩」の言葉のジャンルとして映画をとらえる。
「アストーリヤの声」という新聞では「視覚への贈りもの」というのが映画評の見出し。プレス・コンファレンスで「私には宝石のような映画でした」とコメントしてくれた女性の記者でした。
帰りはミラノ経由でしたが、フライトが突然キャンセル。私はどうしてもその日に帰らなくてはなりませんでした。翌日、日本映画監督協会が創立70周年を記念して製作している映画に「役者」として出演しなくてはならなかったからです。ミラノからロンドンへ飛び、なんとかスケジュール通りに帰国できましたが。このおかしな撮影については、いずれまた。
中国旅行
2005/11/22
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11月9日から18日まで中国へ行ってきました。日中文化交流協会の代表団の一員として、です。団長は辻井喬さん、団員は私のほかに画家の宇佐見圭司さん、音楽評論家の秋山晃男さん、社会学者の大沢真幸さん、協会のメンバーお二人でした。北京、雲南、上海の行程です。
北京で田壮壮監督、王超監督に会ってきました。田さんは「呉清源」の撮影は終わったものの、資金不足でまだ仕上げに入れていませんでした。北京電影学院で監督科の主任教授をされていて、お土産にお持ちした私の「映画を見る眼」をたいそうおもしろがり、大学で翻訳、出版するので来年の夏には集中講義に来てくれとの注文。さてどうなりますか。
王超さんには97年にインドのケララの映画祭で会いました。私は審査員で王さんの「安陽嬰児」がコンペに入っていて、グランプリを取りました。独特な文体をもったすばらしい作品です。日本では下北沢で小さく公開されただけですが。二本目の映画が「日日夜夜」。残念ながら両作品とも中国国内では上映されていません。検閲ですね。でもフランスのDVDの海賊版で多くの人たちが見ています。田さんの「青い凧」も同じ運命です。中国には、政府に政策があれば、庶民には対策がある、といわれています。いい得て妙です。実態としては、中国の若者の方が世界のいろいろな映画を見ているようにも思えます。
雲南は長年、行ってみたかったところです。「埋もれ木」で使ったトンパ文字は、雲南の少数民族、ナシ族のものですが、今回は南の方で、そちらには行けませんでした。いずれまた時間をかけて回ってみたいところです。
上海から中部国際空港に戻って、名古屋の同朋大学、伊勢市の新富座、東京、多摩の映画祭と、ちょっと多忙なスケジュールとなりました。新富座の支配人、水野さんは江戸時代の芝居小屋から数えれば四代目となる方ですが、ご多分にもれず、町中の映画館は苦戦しています。でも楽しいトークでした。水野さんは大学生のときに「泥の河」を見てくれていて、いつか私と会えるのを待ち望んでいてくれたそうです。考古学を専攻されていたとのことで、温和で、知的な方でした。こういう劇場主が日本映画を支えてくれているのはうれしいかぎりです。
来週は映画祭でスペインへ行ってきます。
沖縄
2005/10/11
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しばらく書き込みをしなかったので、やり方を忘れてしまいました。
こうしたネットを使ってなにごとかを発信していく意味を、つかみかねているのでしょう。でもせっかく始めたことですので、ためらいながらでもその気になったときは書いていこうと思い直しております。
今月のはじめ、4日間、沖縄へ行ってきました。きっかけは、近隣の友人たちが以前から沖縄に遊びに行きたがっていて、私ともう一人、仲のいい陶芸家ですが、60歳になったお祝いにと、いわばそれをダシにされて計画されました。私は仕事柄からか、観光という発想がありません。ロケハンだったり撮影だったりと、助監督時代から考えればあちこちを見てまわっていますし、今更あらためてどこかに行きたいとは考えないのです。でもまあ、浮世の義理というのもあります。ちょうどいいことに、那覇で15日から『埋もれ木』の上映が始まることになっていて、旅行の半分はそちらのキャンペーンで動こうと、自らを納得させたのでした。
経費の問題もあって、なかなか沖縄まで映画の宣伝では出向けません。でも行けば行ったでよろこんでくださるのは分かっておりますし、興行にもプラスになることは間違いありません。テレビを二つ、ラジオを三つ、新聞を二社、駆け回ってきました。
私が最初に沖縄に行ったのはまだ返還前のことで、19才のときでした。パスポートを持っての、貧乏旅行でした。竹芝桟橋から船で2泊3日、ひどい船酔いに悩まされたことをよく覚えています。三等船室でごろ寝して、一人ひとりの枕元に洗面器が用意されていて、吐いてはうたた寝していると、食事です!と起こされる繰り返しでした。私としてはそのときの沖縄行は、ポール・ニザンの「アデン・アラビア」といった面持ちだったのでしょう。
那覇の「桜坂劇場」はつい最近、リニューアルして町中の映画館として再出発を図ったばかりの劇場です。全国どこでもそうですが、シネコンにお客をとられて町中の映画館は苦戦しています。でも逆にそうした劇場がなにをしていかなければならないかはみなよく分かっているので、スタッフはみな意識的な人達ばかりです。「桜坂劇場」は三つのスクリーンがあり、昼夜をあわせると一日に八本ほどの映画が上映されています。映画の多様性を確保する、こうした劇場がぜったいに必要です。桜坂は国際通りのすぐ裏手で、平和通りから横の坂を上がったところにあります。地形もよく、古い町並みがまだ残っています。地域の映画館はこうした風土といっしょに生き残らなければなりません。この一日からやはり『埋もれ木』を上映してもらっている京都の「京都シネマ」もそうした劇場です。私はまだ行っていないのですが、ここも
やはり何年か前にリニューアルされ、最新の映写設備が整っているようです。こうしたところでいい映画を見ると、そのことのぜいたくさが実感されるのではないでしょうか。
3泊4日の旅で、私は沖縄そばを六回食べました。これだ、と思えるものになかなか当たらなかったからです。
つづく。
筑紫哲也さんとの対談
2005/06/14
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今月はじめ、筑紫哲也さんとの対談が早稲田大学でありました。
早稲田がオープンカレッジというものをやっていて、筑紫さんが小栗とならやってもいいと、私に声がかかったものです。
私は見たことがないのですが、アメリカのテレビに「アクターズ・ステュディオ」という番組があるそうで、筑紫さんはこういうことを日本でもやりたいのだとおっしゃっていました。三、四十人の限られた生徒を前に、映画監督なり俳優さんなりをゲストとして迎え、スピーカーがそのゲストについて徹底的に掘り下げていくのだそうです。筑紫さんも、意図はそうしたものだからと、私の新作「埋もれ木」をふくむ全作品、著書のすべてをあらためて勉強してきましたとおっしゃっていました。

筑紫さんとは朝日新聞におられたころから面識があり、私の映画はいつも気にかけていただいています。「死の棘」では、松坂慶子さんとごいっしょに「NEWS 23」で中継をつないでいただいたこともあります。映画はとてもお好きで、よく見ています。
早稲田では、募集をかけたら三千人もの応募者があり、少人数というわけにもいかなくなり、四、五百人の授業になりました。要点は、今の日本社会が「わかりやすさ症候群」に陥っていて、そうした背景をもとにして、小栗映画を読み解くというものでした。
私の映画が「わかりにくさ」の例として引かれるのは不本意ですが、スナック菓子のような映画ばかり見ていてはだめだと、筑紫さんはなかなかに過激でした。ギリシャのアンゲロプロス監督を引き合いに出して、「現代映画」は時間というものをどう捉えるようになったかと、話は進んでいきました。これは映画表現の根幹に関わる問題です。
機会があったらまたゆっくり展開してみたいテーマでした。



一月以来、ブログがぜんぜん更新されていないけれど生きてるのですか、と知人がいってきました。確かに、今年は一月に二回の書き込みをしただけでした。旧暦では二月十八日が春節、旧正月で、それまでにはなんとか自分も新しい年を始めなければなどと記して、もう今日は春分の日、旧暦でいっても二月の三日、あれあれ、です。ここで報告できることがなくて困っています。で、姑息なことを考えました。昔のものを使ってでも、このサイトはまだ死んでいませんと意思表示だけはしておこう、と。昨年の半年間、東京、中日新聞で、連載コラムをもちました。これが二十六回分あります。夕刊の掲載だったこともあって、読むことができなかったと何人かからいわれてもいましたので、これを分けて転載しようというものです。新聞社には許諾をとっていないのですが、たぶん大丈夫でしょう。一週間に一回、二回分をここに載せるとして、三ヶ月間はこのページも開いていることになります。そのうちにあたらしいことも書けるでしょう。
06/7/11の掲載 デジタル化
デジタル・カメラでの撮影は、現場でモニターをチェックする。いつも結果がそこに見えているから、考えようによっては大胆な試みも可能になる。フィルムは現像しなければ結果が分からないから、あとでしまった、とならないように、様々なことを予測し、慎重にもなる。どちらが創造的であるかは一概にはいえない。道具としてそれをどう使うかだろう。
でも習いとして、私たちはいったん見えてしまったものを、これは違うと否定しにくい。見えるということはものごとが具体を伴うことだから、その具体を退けてもう一度、抽象に向かうには力が要る。
デジタル化が社会のいたるところで進んでいる。デジタルは瞬時に立ち上がって瞬時に消える。尾を引かない。見えていること、見えているとき、だけが対象となりがちだ。
バブル経済がはじけて以降、こうした傾向がいっそう強くなった。目に見える数値ばかりをいじる世の中になったからだ。
ことには前後がある。ことの始まりと終わりがある。始まりの前にあって見えなくなったことを記憶し、終わりの先にある、まだ形をなさないものを想像することで、私たちは自身の思索を深める。目の前にあることだけを取り沙汰するのであれば、それはハウツウでしかない。
一方で、陰惨で、動機も分からないような事件が、男女の別なく頻発する。これはなんだろうか。
見えていることと、見えていないこととが繋がらなくなってしまった。映画はなにを見えるものとしているだろうか。
06/7/11 の掲載 麦秋
小津安二郎監督に『麦秋』という映画がある。麦秋とは麦を取り入れる季節のことで、それを麦の秋、というところがいい。響きもよく、好きな言葉の一つだ。
あたりが緑を濃くしていく時期に、麦だけが黄色く色づいて枯れていく。麦は寒冷地の作物である。それが夏を向かえる前に耕作されるのだから、日本という地は気候にめぐまれている。
私が生まれ育った北関東では、昔は二毛作だった。麦を取り入れた田が代掻きされて、そこに稲が植えられた。今は同じ田圃で麦と米を作るところを見かけない。麦の補助金がカットされて、農家がやつていけなくなったのだろう。
その分、といえるのかどうか、どこも田植えが早くなった。私の周辺では兼業農家が多いこともあり、五月の連休である。収穫は台風シーズンの前になった。品種もそのように改良されているらしい。
面積が少なくなったとはいえ、麦畑もところどころにある。収穫時期には稲も育っているので、黄と緑の対比がいっそううつくしくなった。段々畑でそうした光景に出会うと、うっとりとして車を止めてしまう。
しかし考えてみると、経済的な理由からこうしたことが起きているのであって、それを陶然と見ている私はなにか、ということになる。
先日、知り合いから挽きたての小麦粉が届いた。私がうどんを打つのを知っていて、味比べにと三種類の粉が入っていた。香りがあって、どれもうまい。これもいいとこ取りで、すまないと思うことしきりである。