小栗康平 手記

良いお年をお迎えください

2015/12/28

沖縄に行って来ました。1月から『FOUJITA』の上映が那覇でも始まり、それに合わせて沖縄県立博物館・美術館が私の講演会を組んでくれました。同美術館にはフジタの「孫」など三点が所蔵されていて、それらも特別展示されていました。フジタは1938年に沖縄を訪れて1ヶ月ほど滞在し、いくつもの画を残しています。「客人(糸満)」と題された大きめな画は秋田県立美術館にあって、私はこちらにも1月末に行く予定になっています。

フジタが沖縄に行くことになったのは、池袋モンパルナスと呼ばれていた人たちから沖縄行きの話が持ち上がり、フジタが自ら同行を願い出て、とのことでした。南米で沖縄の人たちに親切にしてもらったから、だったそうです。1929年の世界恐慌のあと、フジタはパリを離れて南米の旅に出ています。その先々で沖縄の人たちに会ったのでしょう。南米にはたくさんの沖縄の人たちが移民しています。
フジタの戦争協力画の最後は「サイパン同胞臣節を全うす」ですが、映画の中にも出てきますが、「バンザイクリフ」から飛び降りた人たちには、沖縄の人たちがいっぱいいたそうです。サイパンも沖縄から移住した人が多くいて、サイパンを生きのびて沖縄に戻り、さらにまた沖縄戦でいのちを落とした人たちも少なくなかった。恥ずかしい話ですが映画を作りながら私は、今回、沖縄に行くまで、そうした事実のディティールに思いが及んでいませんでした。
館長の安里(あさと)進むさんは、私より2歳ほど若い方ですが、幼年期の記憶として、気の狂(ふ)れた人たちが那覇の町を彷徨っているさまを今もありありと思い浮かべることが出来るとおっしゃっていました。凄惨な地上戦、軍に強いられた住民の集団自決など、忘れようにも忘れられない痛ましい肉親の死が、いまも沖縄の人たちの体と心に突き刺さっています。

講演の前に、辺野古に行って来ました。本土では埋め立て工事がいかにも進んでいるかのように報道されていますが、「既成事実化」を推し進めようとしているのでしょう。じっさいにはまだいつでも後戻りできる、手つかずの状態、です。大浦湾は静かで、きれいな海です。
今年は戦後70年の節目の年でしたけれど、沖縄ではその考え方そのものが成立しません。それほどに歴史が違っています。戦時が、アメリカ軍の基地として現在形で目の前にある、と実感します。『FOUJITA』を沖縄であらためて考えることになりました。

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映画『FOUJITA』は、戦争をどう描くか、で始まった企画ではありませんが、もちろんそこから離れてフジタを描くことは出来ません。起きてしまった戦争というよりは、戦争の前後を挟んで、私たちの中でなにが形成されていたのか、失っていたのかを、平時の感覚で確かめてみる、ということだったでしょうか。大きく考えれば、それは近代を捉え直すことだと、私には思えます。沖縄の人たちは「近代日本」の限界を、人間としての尊厳を根拠にして、訴えかけてきています。保革の対立を乗り越えてオール沖縄を実現した翁長沖縄県知事の発言にこころ動かされるのも、同じ理由からです。日本政府との慎重な応酬を聞いていると、薄っぺらな政治屋さんとは違って人間の出来が違う、と思ってしまいます。

私はこの1月に、99才だった母を見送りました。新年のご挨拶は申し上げられませんが、みなさま、どうぞよいお年をお迎えください。

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