小栗康平 手記

残暑お見舞い申し上げます

2007/08/24

猛暑も幾分かは弱まってきたようです。明後日から、十日ほどの予定で敦煌へ行ってきます。日中文化交流協会の訪問団です。敦煌へは北京から直行便もあるのですが、飛行機は蘭州までとし、そこからは河西回廊を列車で西下することにしています。西安には行ったことがあるのですが、その西は初めてで、楽しみにしています。
続けていた転載も、今回が最終回。最後は年末でしたので、よいお年を、などというのが締めになっています。この暑さの中、いささか呆れてしまいますが、これでとうとうこのブログもネタ切れ、になります。戻ったら、敦煌のご報告でもしましょう。

 

転載

掲載日 06/12/12 タイトル ボランティア

何年か前に交通違反で講習を受けた。その折、座学の他に二つの選択があって、一つはお金を払っての運転技術講習、もう一つは町へ出てごみ拾いなどをする「奉仕活動」だった。この「奉仕」はどう考えても「見せしめ」で、もちろん私は選ばなかった。
学校教育でボランティアを義務づけ、それを大学入学の条件にしたいという動きがある。困ったことである。大きなお世話だ、などといってはいけなければ、そこはお世話しないでください、というのが実感である。
ボランティアは、正確にはボランタリーでその語源は、自らが望んでやること、とされている。問題は、自分がなにを望むかであろう。私はそれを奉仕などとは考えない。それでは程度の差こそあれ、やってあげる、してあげる、などというところから逃れられないからだ。
私たちは「関係としての」存在だが、その関係は血縁、地縁、あるいは民族など所与のものがまず先に働き、次にくるのが今日では、経済を中心とした関係である。それはそれで各々に大事なことではあるとしても、それだけで十分だとは私たちは思っていない。だから、そうした経緯や利害を離れて、それぞれに任意の、もう一つの人間関係を求める。
ボランタリーとは、そうした活動を通して、その社会を表面的に覆う価値観から逃れ出ようとする欲求を根に持つもの、だろう。多様性の探し方だといってもいい。それが国によって制度化されるなどということになったら、若い人たちはもっと将来を閉ざされることにならないか。

掲載日 06/12/19 タイトル 旧暦

十二月になって新しいカレンダーや手帖をいただくことが多くなった。来年から私はここに「旧暦」の暦を付け加える。友人が子供たちのための「山の学校」を開いていて、この夏、そこで「旧暦」の本を見かけたのがきっかけである。知っていたようでじつはよくは知らなかったことがたくさんあって、なんだこういうことだったのかと、以来、何冊かの本を読み漁ることになった。
旧暦といっているのは、明治五年(一八七二)に現行の太陽暦(グレゴリオ暦)が世界標準として採用されたからで、古くて当てにならないもの、ではない。正式には太陰太陽暦といい、陰暦、農暦などとも呼ばれている。陰とはもちろん月のことだから、それは日々に満ち欠けして、いつも私たちの目に見えているものだ。自然の暦としてはこっちの方がなじみやすい。
月が地球を十二回まわるのと、地球が太陽を一回まわるのとでは、十一日の違いが出る。これを十九年に七回、閏月(閏年の一日ではなくて、一カ月分)を入れて一年を十三カ月とする。四千年ほど前に中国で使われ始め、六世紀に日本に入ったと本にはある。季語も節気も、この暦で見ると納得が行く。
月も地球も真円を描いてまわってはいない。楕円である。地軸も傾いている。だからこそ私たちの世界は、大いなる変化に富むのであろう。
太陰太陽暦は東アジアの「地方暦」だとしても、世界標準の暦と「地方暦」と、二つあるほうがいい。真実は一つなどと思わなければ、もう少しだけ、こころ穏やかになれる。

掲載日 06/12/ タイトル よいお年を

このコラムも今回が最終回。私は書きためる、ということが出来ないたちで、原稿はいつも締め切りぎりぎりでした。なにを書くかについても、なぜいつもこれほど迷い、うろつきもするのだろうと自分でも呆れるほどでした。短いコラムとはいえ、これは新聞である、という思いがあったからでしょう。
でもそれは「社会の木鐸たる新聞」を意識してではなく、むしろ逆にそうした範疇に取り込まれてしまうことへの躊躇、といったほうが近かったかもしれません。たとえば政治について書く。書けば文句を言いたい。じっさいひどい世の中になっているのだし、新聞での主張はどうあっても欠かせない。でもそうした原稿が続くと次は別なことをと気持ちが揺れる。
以前、ベトナム映画人と会ったときのコラムで書いたことですが、国中で不満を言い争っているような感じがあって、自分もその一人かと思うと情けなくなるからです。マスコミュニケーション社会の難しさなのでしょう。手に確かな手触りさえあれば、それが小さなことであっても人とつながりうる、やがてはなにかの力になりうる、そのように考えられることが少なくなってきました。
テレビがそうです。映像をマスの表現だと誤解して、なんでも既知のものとして、知ったつもりの社会を作っています。映画も「見えるもの」を相手にしていますが、誰しもが同じように見えているものなどないと、私は考えています。半年間、お付き合い下さり、ありがとうございました。気を取り直して、ご挨拶します。よいお年を。

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