小栗康平 手記

2007/07/31

明日からもう八月です。長かった梅雨もようやく明けようとしています。樹木の梢で新芽が吹いています。土用芽というのだそうですね。春ほどの勢いはありませんが、新緑が濃い緑の先で照り映えています。ベルイマン監督が亡くなられたと報じられていました。二ヶ月ほど前に「サラバンド」を見ています。人生が無残なのか、映画が無残なのか、その問いにただ身をおく、私にはそんなふうに受け取れる映画でした。生前、これが最後の映画だと自身でいっていましたから、映画の遺言ではあったのでしよう。

 

転載  06/11/28 タイトル 聖域

私が小学校の高学年のころ、勤評闘争というものがあった。教員の勤務を評定しようとする一連の動きに対して、教育の聖域を守れと闘ったものだった。もちろんその基底には、右傾化していく政権との政治闘争があった。なかなかの猛者が先生たちの中にいたのを覚えている。
今回の政府が進める教育改革は、評定よりもっと踏み込んで、教員の資格そのものを問おうとするもので、これを基本法で縛ろうとするのであるから、ことはさらに重大である。ナショナリズムの台頭も見過ごすことは出来ない。
私は群馬県で始めた「映像教育」で、学校の先生たちとお付き合いするようになった。まだ三年あまりのことだけれど、先生たちは信じがたいほど、がんじがらめの管理下で仕事をしていると私には感じられる。今ですらそうであるのに、今回の法律が通ったらこの先どうなるのだろうかと恐ろしくなる。
教育は、ときどきの社会を分母とすれば、その上に乗る分子である。しかしこの数式を決めるのは断じて国家ではない。家庭や地域社会の中から生まれるもので、さまざまな思想、信条と有機的に結び合うことで機能する、もっと「生」の全体に関わることがらだろう。
「聖域」という考え方には当時の時代背景があってことだったろうが、教育を特殊な領域とすることによって、技術論を導入するきっかけを作った。先生たちを見ていると、危機の本質にまだ気づいていない人たちも少なからずいるように私には思える。マニュアルで「いじめ」は解決しない。

転載  06/12/5 タイトル フィルム・コミッション

各地でフィルム・コミッション(FC)の設立が相次いでいる。FCとは、映画、テレビドラマ、CM等のロケーション撮影を誘致し、ロケを円滑に進めるための非営利機関で、自治体などの公的組織がこの運営を担う。日本でこうした活動が始まったのは六年前からのことでしかないが、それがすでに百に近い数を数えるほどになった。しかし実態は玉石混淆である。私などはお世話になる側だからこういっては失礼だが、お役所がいささか流行りでやっているようなところもなくもない。
映画の作り手たちがスタジオから一歩外へ出れば、そこはフィクションではなく現実社会だから、道路を一つ使うにも使用許可がいる。FCはそのようにして、当初から公的な性格をもった。そこに経済が加わった。ハリウッドのような大掛かりなものであれば、撮影によって直接お金も落ちる。間接的には映画を見て、そこへ行ってみたいと観光客が増えることもある。自治体の施策としては一石二鳥でもある。でも本当に大事なのは、文化としての映画、映像表現の再発見だろう。
自治体は簡単に地域の情報発信などというけれど、それはただ、こんな風景があります、こんな建物がありますといったことではないはずだ。その風土を、歴史を撮るとはどういうことか、どんな目がそこに持ち込まれるのか、そうした理解が深まらなければ、地域が映画と出会ったことにはならない。映像表現とは、個別の場所、個別の人間を写すものだからだ。
映画を「誘致」して、そこには映画館もない、ではいけない。

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