小栗康平 手記

コラムの転載 つづき

2007/04/22

このコラムは、東京新聞では夕刊の一面、左下にありました。下記の「墓参」の原稿が載った紙面を取り出してみたら、「小泉首相が靖国参拝」の大見出し、でした。レイアウト的には大いなる異議申し立てになっていました。
毎年のことながら、この時期は新緑が美しいです。楢の木の、花のように白みを帯びた薄緑の芽吹き、柔らかな葉にまじった山桜の花、里の山がほんわりと膨らんで見えます。

 

06/8/15 掲載 墓参

お墓は、多くのところでそうであるように、〇〇家先祖代々の墓となっている。檀家の一員でもあるから、自信はないけれど宗派のしきたりにも則っている。ときにはお寺にも行き、お盆にはお墓に行って祖霊を迎える。
まったくもって一般的な日本人ではあるけれど、私にはこの〇〇家という限定が窮屈なものとして感じられることがある。
もう二十年以上前のことになるが、十一月の一日にポーランドにいた。原始宗教とカトリックとが交わってのことだと聞いたが、ポーランドではこの日、墓参し、手作りのロウソクを終日灯し続けて、死者と語る。
ポーランドは悲惨な歴史を経験してきた国である。様々な過ちによって死に、殺された者たちがいる。ロウソクはそうした人々へ等しく手向けられるから、街がいたるところでロウソクの火の海となっていた。
私が父の墓に手を合わせる。儀礼のなかで、私は父と会話する。それはそれでこころ穏やかなものだ。でもそこに祈りがあるとすれば、その祈りは、血族を越えて死者たちに向かっているだろうかと考えたりもする。
私の祖霊信仰は、祖先神を形づくるほどには強くない。またそれが国家と結びつくこともない。一部の政治家が私心からだといって靖国神社に参拝する。私は死んだ者、殺された者は、国家を離れてこそ安らぐだろうにと、まずはそう思う。それが人の情というものだろう。
歴史に学ぶとは、歴史的解釈を争うことではない。「私」の今を考えることだ。今日は八月十五日、敗戦の日である。

06/8/22 掲載 蜂の巣

玄関のちょうど人が出入りする頭の高さに、何日か前から蜂が巣を作り始めた。小さな蜂ではあるけれど、刺されるとかなり痛い。大きくならないうちにと巣を落した。蜂はしばらくの間、巣のあったあたりを飛び回っていたが、やがてどこかへ行ってしまった。
蜂がいつもより低いところに巣を作る年は、台風が多いという。どんな予知能力があるのだろうか。今年は八月でもう十一号だ。
亡くなった相米慎二監督に『台風クラブ』という映画がある。台風の夜に中学校に閉じ込められた少年少女たちの、気配と呼んでいいようなこころの揺れをうまくとらえていて、私の好きな映画の一つである。
相米とは何度か草野球をやった。フリーの助手連中が多く集まったチームでのことだった。お互いに一本立ちしてからはあまり話す機会もなかったけれど、会うと俺は小児科だからなどといって私を煙に巻いた。もちろん相米の映画的な感性は小児的などというものではない。とぼけたふりをして、相米は大いにイノセントだった。
今の映画は、気配といったものが描けなくなった。時代がそうした淡いものを、受け止めなくなってもいる。敵か味方かと、安易にことを二分するやり口は、小泉首相が常套の手段としたところで、映画の得意技でもある。でもさすがに、首相の靖国神社参拝にまつわる強弁は聞くに耐えないものだった。
私たちに蜂ほどの予知の能力はないけれど、人為で巣を落されないようにするだけの、知恵はもっていたい。

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