小栗康平 手記

コラムの転載

2007/04/09

半年以上前の、こんなコラムでも読んでいてくれる人がいるようです。続けます。

 

2006/8/1 掲載 ラーメン・ライス

久しぶりに高校の友人たちと飲んだ。上がりでラーメンを食べることになり、ラーメンといえば、昔は必ずラーメン・ライスだったな、という話になった。
確かに若いときにはラーメンだけでは足りなかった。一番安いのはご飯だったから、これがラーメンとのセット・メニューになった。
問題はその食べ方で、それぞれに流儀があったらしい。私はふつうにそれぞれを交互に食べる正統派、である。それでは意味がないという反論があって、一人はラーメンを飯にのせて麺とご飯をいっしょに口に入れた、という。
そんな食べ方はない。麺を箸で取ってご飯の上に持っていき、それでまず麺を食べる。ラーメンのスープが飯の上に落ちているので、次にそこを食べる。これが正しい。
俺はそんな面倒なことはしない、という者もいる。ラーメンは延びないうちに集中して食べる。その後残ったスープに飯を入れて食べればいい。などなどそれぞれが我流を主張する。
こういうどうでもいい話を一挙に覆したのが、チャーハン・ライス。友人の一人がやはり学生のころ、高田馬場でチャーハンにライスを注文して食べていた奴を見たことがあるという。チャーハンの大盛りではなく、チャーハンをおかずに白い飯を食う。これは極め付けである。気持ちからすれば、みなよく分かるという話になった。
もっともその夜の当人たちは、半ラーメンだったり、身体に悪いのでスープは飲まないなどと、すっかり気弱な六十歳に様変わりしてしまってはいたのだが。

2006/8/8 掲載  渡船

ある集まりがあって、岡山県の牛窓からフェリーに乗って前島へと渡った。島はつい目と鼻の先で、フェリーというよりは昔ながらの渡船という言い方の方がしっくりする。
島への最終便だった。夜の潮風が雨上がりの湿った気配を払いのけて私の顔をなぶる。なんとも気持ちがいい。今日はこの船を最後に、もう島へ行くことも戻ることも出来ない。そう思うと、しばらく味わったことのない安堵感がわいてきて、自分でも不思議だった。
瀬戸内の島々には、幾多の橋が架かっている。橋が架かれば往来は自由だ。都市圏へも車で一時間ほどになる。しかしそれで島がよくなったという話は聞かない。過疎化がより進み、都市からの人たちは島の上を通過するだけになった。
容易いことではないとしても、隔てられることで見いだすものもあるのではないか、と思う。私たちはいつでもどこへでも行けることをよろこびにしているけれど、本当のところは、自分はどこにも行かない、ここにいる、そういいたいのに、それが出来ないでいるだけかもしれないのだ。
二十四時間開いているコンビニがなかったときに、どれほどの不自由があったというのだろうか。都市並みを求めたところで、島は都市にはならない。だとすれば島の時間、島の文化を自足するものに変えていかなければならない。
夜の前島はひっそり静まり返っていた。迎えの車に乗ると、タヌキの親子連れに会った。スイカを盗みに来たのだろう。おい、あんまり取るなよ。

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