小栗康平 手記

第三回 邑の映画会

2010/10/28

今年もまた、群馬県の邑楽町で表記の映画会があります。私は番組の選定などに関わっています。今回は清水宏監督の「有りがたうさん」を取り上げました。下記の原稿は先月、東京商工会議所の広報誌「ツインアーチ」に書いたものです。転載します。

清水宏監督に「有りがたうさん」という映画がある。これがとんでもなくすばらしい。
清水監督は一九〇三年の生まれで、小津安二郎監督と同じ歳である。松竹蒲田でもいっしょで、お二人は仲がよかったらしい。生誕百年の折には、内外でいくつかの特集上映やシンポジウムなども行われた。小津さんは今でこそヨーロッパでは神様のように崇められているから当然のこととしても、清水さんはこのときの取り組みが再評価のきっかけになったようだ。松竹からDVDのBOXも発売されて、私はそれではじめて「有りがたうさん」を見た。
一九三六年の作品で、日本映画が本格的にトーキーの時代に迎えていたころだ。清水監督はこのときですでに百本以上の映画を監督していたというから、売れっ子の商業監督だった。子どもをじつに上手く撮った人で、「風の中の子供」はよく知られている。
「有りがたうさん」のタイトルに原作・川端康成とあるが、私は不勉強でこれを知らない。初期の伊豆を舞台とした小説集にあるのかもしれない。乗り合いバスが峠を越えて行き来する。下田から三島あたりまでだろうか、天城街道は当時、まだまだまったくの山の中だ。工夫、行商人、まきを背負って運ぶ人、荷馬車、大八車などなど、歩いて往来する人たちも少なくなかった。なんといってもバスに乗るには貴重な現金がいる。日本は不況のただ中にもあった。
その乗り合いバスを運転するのが、若き上原謙である。街道を歩く人々はバスが近づくと、だれもがみんなすぐに避けてくれて、道を空けてくれる。そのたびに運転手は手を上げて「ありがとう」「ありがとう」と声をかける。だから「有りがたうさん」と呼ばれている。その「ありがとう」の言葉の響きに、ミュージカル映画を見ているかのような、なんともいえないここちのよさがあって、私には奇跡の映画と思えたほどだ。
人々はそれぞれの人生をかかえてバスに乗り合わせる。桑野通子が演じるのが流れ者の酌婦。酸いも辛いも噛み分けて、あけすけにものをいう、いわば狂言回しの役。東京に奉公に出るという娘が乗っている。娘を奉公に出さなくては生きていけない母が、せめて駅までと付き添っている。
有りがたうさんには、中古のシボレーを買って自分で営業する計画がある。しかし峠を越えて出て行った娘たちは、帰ってきたためしがないのだ。酌婦が有りがたうさんに、シボレーをあきらめれば娘を一人助けられる、とけしかける。
窓外に流れる海の白波、街道の家並み、日に照り映える段々畑。旅とともに劇が語られていくものは、ロードムービーといわれるジャンルだ。もちろん戦前の日本映画にそんな呼称はない。世界的にも六十年代、七十年代になって出てきた手法である。その背景に二つの理由があるかと思う。
一つには撮影機材の問題。昔は重くて扱いも不自由だった。ステージにどんと構えて撮るのが基本だった。でも「有りがたうさん」は、全編、ロケで撮られたものだ。バスの中のシーンもすべて、じっさいの現場で撮ったという。
清水宏監督は、もともとがロングショットという撮影手法を多用した。風景の中で人物をとらえるのを得意としていて、他の作品でも同様である。佐藤忠男さんがDVDの冊子に、小津さんの清水評を引用している。清水宏はセットでもロケのように撮る、と。
小津さんは俺とは逆だ、といいたかったのかもしれない。おおかた、このあたりまで引けば(広い画面にすれば)、風景も人物もともにとらえられる、と思えるサイズよりさらに一段と、清水監督はサイズがロングになる。これは技法というよりはその人に備わっている自然観、あるいは風景の考え方、といったところからくる生来のものだ。だからロードムービーとはいっても、ヴイム・ベンダースやジム・ジャームッシュのそれとはまったく違う。
このことは二つ目の理由にも関わることだけれど、旅をしないことにはもうなにも描けない、そんな思いが欧米の、一部の映画の作り手たちにはあった。欧米社会の、あるいはその文化の、息が詰まるような閉塞感からの離脱であり、逃避であり、あるいはその再生である。ベンダースのすぐれた詩情も結局は、つまるところ旅なのではないかと、私などは思う。
「有りがたうさん」には、そうした気配は微塵もない。むしろ地域社会によりよくとどまるために、風景を、風景の中の人間を、映画というフレームの中で、見つめる。
親切で、男前で、人気者の有りがたうさんは、道中でいろいろことを言付かる。バスはそのたびに停車する。徒歩で峠を越えてきた旅芸人は、今日の宿泊先が変わってしまったことを、後から来る子どもたちに伝えてほしいという。桑つみの娘たちは、町で人気のレコードを買ってきてほしいと頼んだりしている。
白いチマ・チョゴリを着た朝鮮人の女や男たちを、有りがたうさんのバスが追い越していく。バスはトンネルの手前でひと休みするので女たちは追いついて話をすることになるのだけれど、その前の休憩の描写が、なんともいい。山、流れる雲、乗客たちは外へ出て背伸びをし、谷に向かって石を投げる。理由などはない。みんながそうする。奉公に出ようとしている娘への、有りがたうさんの気持ちも揺れている。
朝鮮人の一団は、道路工事で働いてきた人たちだ。それが終わって今度は信州にトンネルを掘りにいくのだという。道を拓いてバスが通れるようになっても、自分たちはそれに乗ることはない。女は、日本の着物を着て、一度は有りがたうさんのバスに乗ってみたかった、という。このセリフは作り手の、精一杯の妥協なのだろうけれど、昭和十年代の日本映画としては難しいところだったろう。徴用や強制連行で多くの朝鮮人が重労働に従事させられていた時代である。
「有りがたうさん」には、A地点からB地点へ移動することで、なにかが晴れていく、なにかが入れ替わっていく、といった印象はない。むしろこの朝鮮人工夫たちの一団も含めて、さまざまな人々が生きる、この伊豆なら伊豆の、土地、暮らしの「場」の全体像が、人が移動し、バスが移動することで、あらためて浮かび上がってくるふうなのだ。移動して、どこかに行く、そういう気楽なロードムービーではないことだけは、確かだ。
人生の機微や情愛をかわせる、暮らしのリズム、スピードのようなものがある。それよりも少しだけ早くのスピードで、バスが走るようになった。でもまだそれは少し早いだけだから、そのバスが人々を追い越すときには、ありがとうさんと声をかけられる。

邑の映画会 Vol.3 パンフレットPDF:1
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