小栗康平 手記

パリ

2010/09/28

次はどこでだれとはぐれることができるのか、楽しみなのです、と伝えてくれたのは、四十歳前後と思われる女性であった。一日、三作品が上映されていたので、どの映画の前にそうおっしゃったのか、はっきりしない。「はぐれる」は、見失う、わからなくなるなどと、困った状態を指し示す言葉だ。でも彼女はそのようには使っていなかった。それが楽しみであり、喜びである、といってくれたのだ。このあたりの事情を解き明かそうと、昨日、私は東京商工会議所の情報誌「ツインアーチ」に原稿を書いたところです。重複するので、来月の末以降、紙面化された後に、ここに転載するつもりでいます。初めて見てくださった人、繰り返し見てくださっている人、いろいろでしたが、作品への支持はとても熱烈でした。下記は、私のドキュメンタリーを撮ってくださったアントワーヌ・バローさんが特集上映のチラシに寄せてくれた文章です。

小栗康平 by アントワーヌ・バロー

『埋もれ木』以上に感動した映画、挑発された映画、瞬く間に魅了された映画は他にもある。しかしこれほどまでもう一度観たいと思わせた映画、これほどまで異世界へと運ばれる感覚を覚えた映画はない。小栗監督作品の前では、身体が変質し、変貌する。私達は、新しい時間軸や新しい物語の手法、夢想的で驚くべき映像に順応する事を強いられる。しかし好奇心を持って観る努力をする者には絶大な代償がある。それは哲学的、美学的、人間的代償である。

広島原爆投下から数カ月後の1945年10月に誕生した小栗康平は、5本の作品を撮る中で、映画制作の全ての側面の再構築に本格的に取り組んだ。1981年の『泥の河』から2005年の『埋もれ木』に至るまで、音と映像、脚本と俳優の演技、美術に編集、全てが再考された。まぎれもなく全ての要素が過激化し、真正面からリスクに向かい、完全に逆流を行く事も覚悟の上での再構築が行われた。全ての脚本の中で衝突が描かれているが、1990年の『死の棘』以降、小栗はそれを排除し始め、二度と後戻りする事はなかった。デジタル映像がリアリズムを模索し始めると、それを絵画の限界にまで引き上げた。切り返しショットが連続する際は、観客を今か今かと待ちわびさせた。中でも『眠る男』では、キューブリックの『突撃』以来失われていた力を取り戻させた。普通であれば、通行人や横断する人のシルエットで埋まるはずの道でも、エキストラの姿が徐々に視野から消えていく。そこにあるのは何よりも美と詩なのだ。無駄なものは何一つない。音でさえ、流暢さやリアリズムを求めることなく、最大限の断交、沈黙、言わば音の「ズーム」を可能にする。

小栗映画は制御(訳注:技量・抑制・自尊心・支配・の意も含まれる)の映画と言う事が出来るだろう。キューブリック流の制御と言うよりはストローブ流の制御だ。つまり、極度に厳密な言語(言葉の言語でもあり美的言語でもある)の目的はただ一つ。『彼らに出会う』事だ。小栗映画は根底からアニミストであり、たった5本の作品中の物事全ての中で、それまで中心に置かれていた人間をずらし、神と置きかえている。もしそこに神が存在し得るのであれば、それは物事、事柄の融合の中に存在する。生きる者と死んだ者、夢と現実、人間と自然、中と外の融合である。神は、苦悩や信仰、ましてや法や掟の中にいるのではない。小栗映画は、厳格さを持ち、非常に洗練されているにもかかわらず、常軌を逸した、また緻密な無秩序の提案でもある。

初期の作品は社会的現実の背景の中で描かれ、そこでは詩が唯一の逃げ場であった。『泥の河』では、大阪の貧しい子供(小津の子供にも通じるものがある)が水中の“お化け”や火に包まれた蟹のダンスを想い描き、売春婦である母親を理想化する。『伽倻子のために』の言いようもない歌のシーンは、在日朝鮮人の日常を照らす。しかし、進化させるべき最も過酷な社会とは、最終的には社会生活とモラルと神聖が合致する夫婦のつながりなのではなかろうか?『死の棘』の夫婦は、そういう意味で言えば反逆的で抵抗していると言える。自らの社会を、法を、生活の資本を、その他全てのものを銃で撃つ。予想できぬ驚きの結末は、想像の扉を大きく開く。5本の映画を一つの作品とみなすのであれば、『死の棘』はまぎれもなく過渡期にある変わり目の映画と言えよう。

これ以降の2本は、その大きく開かれた扉の中へと流れ込む。この2本でも、それまで描かれてきた世界が時として蘇る。近代化が“月の湯”(訳注:『眠る男』中で語られる月の湯の詩的な要素)に勝ち、また直線を生みだした事(『眠る男』の老婆の家の上を通る高速道路)が思い出される。川でおぼれ死ぬ子供が思い出される。『埋もれ木』では、不法滞在の移民たちの追いつめられた状況が思い出される。しかしこの2本の映画は平穏な映画であると言えよう。

小栗の誘いで観客が入り込むもう一つの世界とはユートピアなのだ。小栗康平作品は、類のない独特な方法で、人々の目を覚ますと同時に催眠術にかけ、シリアスでありつつも空中を舞う虫のような軽さも備えている。『埋もれ木』のラストで、無邪気な少女が再会を示唆シーンにまさにそれが感じられる。私達の前に、その後の世界が、野原が、草原が現れる。無限。調和。

翻訳 高橋晶子

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