小栗康平 手記

太田省吾さんの訃報

2007/07/14

昨年の十一月から入院されていたことを私は知りませんでした。つい三日前にそのことを知り、家のほうへお電話を差し上げました。たまたま奥様が戻られていたときで、そのときすでに意識はなく、危篤の状態だったことを聞かされたのです。なにも知らないできてしまったことが悔やまれてなりません。
省吾さんは大きな人、でした。なにごとにつけ軽はずみにものを言ことは一度もありませんでした。省吾さんには独自な思考の間合いがあって、それが会話にも仕事にも一貫していました。体躯も顔立ちも立派でしたから、その大きさを仰ぎ見るようなことが私にはたびたびありました。
「かや子のために」の脚本をごいっしょしていただきました。苦しい仕事でしたが、映画ができたあと、私がパンフレットに書いた一文をとらえて、こういうことだったんだね、ともらされたことがあります。「ともあれ花は咲いた。私たちは花に咲くなともいえず、散るなともいえない。」私としては思わずついぶやいてしまったようなことでしたが、あらためて指摘されると、自身でそうだったのかとより多くを教えられたように思うのです。こういうことがいくつかの局面でありました。私はそのときの言葉や場面に、これまで何度も立ち戻るようにして生きてきたことを、はっきりと自覚しています。省吾さん、ありがとう。この先どうするのと、もう一度省吾さんから、私は言葉を聞きたかった。
以下、転載の続きです。これもあと二回ほどです。

 

掲載 06/11/14 教育問題

教育をめぐって問題が噴出している。いじめ、不履修、教育基本法などなど、その現れ方は様々だが、根は一緒だろう。ことが起き、その対応に追われる様を見るにつけ、よくもここまで放置してきたものだと呆れるばかりだ。
バブル期を境にして、この国は大きく変質した。ものごとの因って来たることを考えずに、金銭に代表される数値的な価値を追い求めるようになった。人格に例えられるような、無形の価値がないがしろにされてきたといってもいい。
教育が歪まないはずがない。家庭はもちろんのこと、地域や社会がどんな未来を、夢を大事にしようとしているのか、あるいはしてきたのか、どんな気づかいを失うまいとしてきたのかが、子供たちに伝わらなくなったのだ。
学校が担えるのは、広い意味での教育の一端でしかないはずで、残りの大半を壊したままでは上手くいくはずもない。
家庭は、子供の教育を学校へまるごと委ね過ぎである。学校も教師の側もその無理を語らない。語るためには自身がもっと広いところへ出ていかなくてはならないからだ。結果として管理と数値目標、技術論ばかりが横行する。現政権が変えようとしている教育基本法は、教員の適性検査である。これは技術論の、全くの裏返しである。
乱れた規範を正すなどということをもう一つの目的としているらしいが、規範とはなにごとかをいたずらに縛るものではない。自らを律するものである。律するためには、自由で深い精神を必要とする。

掲載 06/11/21 映像教育

群馬県で三年前から「映像教育」に取り組んでいる。小学生の段階から映画、映像についての基礎学習をしようというもので、県の教育委員会がやっと重い腰を上げた。
私は教員への集中講義をやり、教育実践校で年に何回か、自身で小学生を相手に出前授業をやる。この試みは途についたばかりで一貫したカリキュラムもまだない。総合学習の時間を使っての手探りである。将来的には芸術系の学科として、独立した教科になればと思っている。
学校現場では取り組むべき課題が山積していて、百にも渡る項目が順番待ちをしているという。このこと自体が異常ではあるけれど、限られた時間の中で「映像教育」を優先させたいと考える教師は、もちろんそう多くはない。
学校は映像を教育に利用しては来た。しかし映像そのものの原理については、学んではいない。教師からしてそうである。情報教育とかメディア・リテラシーといった動きあるが、これもまたいかにも利用主義で、言葉と映像との関係そのものまで踏み込むことは少ない。
映像は見れば分かる。誰しもがそう考えて、学ぶことを放棄してきたのである。巷に垂れ流される映像によって、どれほど言語が貧しくなってきたか。貧しくなった言語がさらにどれほど映像を貧しくさせているか。社会全体にいえることだとしても、子供にとっては感受性の根幹にかかわる問題で、子供の生命が危険にさらされている、とさえ私は思う。学校だけで完結的に行えないが、緊急にその方策を探るべきだろう。

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