小栗康平 手記
カラオケ
2007/06/28
上海映画祭の閉幕式にアン・ソンギさんがパク・ジョンホさんといっしょに来ていました。「ラジオスター」という映画です。男優賞にはなりませんでしたが、式が終わって街へ飲みにいきました。アンさんとはしばらくぶりで、楽しい時間でした。田壮壮から電話があり、合流しないかというのでみんなで行こうということになりました。田さんは「呉清源」を出していて、最優秀監督賞の受賞。私はグランプリだと思っていましたが、他の審査員と意見があいませんでした。行った先はなんとカラオケ店。チェン・カイコーやホウ・シャオシンたちもいました。驚いたのは、ホウ・シォシンの歌のうまいこと。北島三郎なみで、そういえば顔も似ていなくもない。昔は青年監督だったのに、お互い歳をとってジジイになってきたなあと実感すること、しきりでした。メンバーといい、カラオケといい、変な上海の夜でした。
以下、転載の続きです。
掲載日 2006/10/31 キノコ
「ならたけ」が出始めた。このキノコは雑木の切り株や倒木に群生するので見つけやすい。私が間違えずに採れるのはもう一つだけで「ちちたけ」。こちらは夏の雑木の林床に単生する。色も赤褐色ではっきりしている。折ると、イチジクのような白い汁が出る。地元では「ちたけ」といっているが、私は勝手に乳汁を連想している。食べておいしくはないが、だしがよく出るのでうどんのつゆにはもってこいである。
ものの本には、日本に一二〇〇種ものキノコが生えるとある。地形が南北に長く、多種多様な森林があるからだろう。大いなる恵みである。
日陰に生える菌類を食するのだから、キノコとは奇妙なものだ。木の実や山菜の明るいよろこび、といったものとはなにかが決定的に違う。人間になる前の、地を這っていたかもしれない記憶でもあるのだろうか、湿った感受性といいたいような、不思議な興奮がそこにはある。
私にはあれもこれもとは採れないけれど、キノコには目がない。旅先の道端で山のキノコが売られたりしていると、ただただ感動で、すべての種類を欲しくなる。山で採ってくれた、その人に感動しているのか、キノコそのものになのか、自分でも分からなくなる。
傘がナベの底のように黒いので俗称ナベタケ「くろかわ」というキノコを食べた。松茸を泥臭くしたようで、うまい。
最近はビニール袋をもってキノコ狩りに行く。ザルやカゴで採って歩けば、移動の間に菌糸も落ちた。採るだけで後のことを考えない。山も荒れている。
掲載日 2006/11/7 物語
九十一才になる母は、日に同じことを何回も聞く。つい一時間前に話をしたことでも、初めてのように繰り返し語りかけてもくる。
しかし子供のころのことや昔の話になると、エピソードも具体的で場面としての表情もくっきりとする。近い過去と遠い過去が母の中でどのように見えかくれしているのだろうか。
ある集まりで、人はなぜ映画に物語を求めるのかという話になった。一本の映画には少なくても何百のカットがある。多いものでは千の単位にもなる。その一々を私たちは覚えていられないので、物語化して記憶にとどめるのではないか、こういう意見があった。
この説に従えば、母は物語としてとらえられるものについては前後関係がしっかりしていて、近い出来事は物語化が出来ていないので忘失する、ということになるだろうか。
そうかもしれないとは思うけれど、そもそも物語とは、本人が望みもしないのに自然に、おのずと形作られるものなのかどうか、という疑問は残る。言葉と言葉が連なることで「話」にはなるにせよ、一般的には、ある意志が働いて初めて、事物や出来事が物語の形をとるのだろう。ではその母の意志とはなにかと考えると、茫としてやはり私にはつかめない。
物語は一つしかない、そう考えるからいけないのだろう。物語はいくつもあって、肝心なことは、その物語が誰にどう望まれてそうなったのかを知ることだ。映画とて同じである。お定まりの、商品化されたものだけを物語と呼ぶわけにはいかない。