小栗康平 手記
訂正とこころからのお詫び
2025/01/21
李恢成さんの著書を読み返えしてみようと書棚を漁っていたら、派手な装丁の本に目が留まった。大きな文字が表紙一杯に書かれている。「金石範 なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか 金時鐘」とあって、その全体がこの書籍のタイトルになっている。済州島の四・三事件をめぐってお二人が対話されたものだ。ハン・ガンさんの『別れを告げない』を読んだこともあってそっちに手が出て、ページをパラパラとめくった。
何ページも進まないうちに「木浦?」とつぶやいて手が止まった。その瞬間、私の体から血の気が引いていくのが分かった。大きな間違いを犯していたことに気が付いたのだ。
前々回のこの手記「歴史の死を生きる」の文中で、私は「詩人のキム・シジョン(金時鐘)さんは、アボジが手配してくれた密航船で木浦から渡ってきている。」と書いている。済州島から出ることこそが問題なのに、なにを取り違えて陸地(朝鮮半島)の西海岸の港町、木浦が出てきたのか。およそ関連がない。ひとの生死を賭したいきさつを、間違えました、だけではすまされないが、伏して訂正します。
『金石範 なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか 金時鐘』(~済州島四・三事件の 記憶と文学)は、二〇〇一年に平凡社から出ている本である。
大著『火山島』を書きつづけてきた金石範さんと、四・三蜂起の当事者でこれまでその事件については沈黙を守ってきた金時鐘さん、私は存じ上げていないのだけれど、在日の政治学者、文京洙(ムン・ギョンス)さんがそのお二人の間に入って司会をされている。文さんが適宜に歴史的な解説を挿んでくれていて、アメリカとソ連の大国の思惑に振り回された当時の政治的背景がよく分かるようになっている。金石範さんは両親のお生まれが済州島で四・三は直接には知らない。石範さんに促されて金時鐘さんが蜂起の実際について初めて口を開いていく。済州島沖合の無人島に先ず出て、と言った日本への密航の詳細もそこで語られている。歴史資料としても貴重な本である。
編集部の関正則さんという方が「本書にかかわった唯一の日本人として」と題して編集後記を書いている。この文章もいい。作りとして、とてもフェアな本である。私は読んでいるはずだが、忘れていたのか。そもそも忘れられることなのか。ほぼ意識が飛んでいる。
歳がいって物忘れをする、探し物が多くなる、ようになってきた。昨年だったが、一人で高速道路のパーキングエリアに寄ったときにipadを開き、なんとそれをそのままテーブルに置いて出てきてしまったことがある。しばらく走行して、あっと気が付いたのだが、高速である。次のインターチェンジで降りて入り直したのだけれど、パーキングエリアは反対車線である。また何十キロも走ってようやく同じパーキングエリアに戻った。この間の小一時間、私の頭の中は空っぽになっていた。
忘れるのは仕方がないが、間違えて別なものに結び付けてはいけない。恥ずかしい。金時鐘さん、すいません、お許しください。
小栗康平