小栗康平 手記

映画の、見つめ

2024/04/27

日本で初めて公開された監督作品を二本、渋谷の映画館で続けて見た。「ゴースト・トロピック」と「Here」。ベルギーの監督で名前はバス・ドゥヴォス。一九八三生まれとあったから、四十歳あたりで撮った映画である。
映画は買う人がいてそれをかけてくれる劇場があれば、短時間で国境を越えて流通する特異なメディアである。もちろん経済はいつもついて回るが。映画祭で間違えて見るつもりではなかった別な映画に入ってしまい、それが気に入ってドゥヴォス監督の作品を追いかけたと、配給した人がパンフレットに書いていた。こういう「発見」が映画祭で起きる。映画祭は賞を出して顕彰することが「顔」にはなっているけれど、マーケットとしての商習慣の場であることの方が実情には近い。
見て二カ月になるが心地よさは今も残っている。闘ったり争ったりしない映画を久しぶりに見たと思えたからである。
「ゴースト・トロピック」は清掃員として働くアラブ系の年配女性が、終電で降りる駅を乗り過ごしてしまい、深夜、家に帰りつくまでの話である。プロットを「運び」という意味合いで私たちは使っているけれど、ここではただ家に帰るまでのことだけだから、ことさらに劇として「運んでいかなくてはならない」ものはない。映画の人物と一緒にただ歩いている、そんな感覚に捉えられる。ひやひやしたりドキドキしたりしなくてもいいのだ。
「Here」も同じである。こちらもブリュッセルの工事現場で働くルーマニア人が主人公で、青年が長めの休暇をもらって家を空けることになる。冷蔵庫に野菜が残っている。無駄にしないようにとそれでスープを作り知り合いに配って歩く。届け物といった程度のものでもないけれど、そのことで人物が移動し、映画を見る私たちに人物の関係性がゆっくりと解きほぐされていく。友人たち、姉、苔の研究をしている大学の女先生、語り口が穏やかでいい。シナリオが上手いのだ。
もちろん両作品に小さな出来事はそれぞれにあるけれど、その、劇としての要素を深追いはしない。「劇は劇になりたがる」と言っていたのは、亡くなった太田省吾さんだったが、その太田さんが『劇の希望』(筑摩書房)で「<表現>はフィクションを構える。フィクションとは、受動が力である世界の構築である。フィクションはだから、能動の力を拒みうるのであり、現実世界からの隔たりをもちうるのではないだろうか」と書いている。能動の力を拒むとは、直接的な有用性から離れることだ。作品に固有の受動が感じられるようになったときに、表現が立ち現れる、逆に言えばそうなるかもしれない。
見ることは、「私」がいる、在ることの受け止めだから、映画は原理として受動である。ただ厄介なことに、映画は演劇よりも私たちが暮らす現実世界と近似のものとして見誤るから、受動の深さを受けとめきれないことがしばしばだ。人や世界はどう「在る」のか、その見つめの眼差しの、寄って来たるところが分からなくなる。分からなくなって、能動としての劇を求める。
「ゴースト・トロピック」は冒頭のシーンでアパートのリビングが映し出される。人物はいない。日差しが変化して暮れていく。「これが私に見えるもの」と詩の一節と思われる言葉がオフで聞こえてくる。監督の「見つめていく」意思の表示だろう。リビングはラストでまた映し出される。今度は夜が明けてまた仕事に行く時間になる。静かな見つめの慈しみがこの監督の表現としての受動、なのだろう。
ただ、画像が人物に寄りすぎていはしないかと気にはなった。カメラが人物に寄れば体温は上がって感じられるけれど、見えている視野が狭まってしまう分、映像そのものがもつ喚起力に欠けることになり易い。難しいところである。
ベルギーという国の特異な事情があっての映画かもしれない。小国で人口も少ないけれど、首都ブリュッセルにはEUの主要機関が集まっている。多民族、多言語が交わる連邦立憲君主制王国で、分権化も進んでいるとのことだ。いつの数値なのか分からないけれど、外国生まれの居住者が六割というから、そこでの人と人との付き合い方がどんなものになるのか、私たちには想像すらしにくいことだ。

照明の津嘉山誠さんがこの人もベルギーですからと、シャンタル・アケルマンの「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」と「アンナの出会い」のDVDを持ってきてくれた。私は知らなかった。周りに聞いてみると、えっ、アケルマンを知らないのですか、と呆れられてしまった。
70年代に作られた映画だからヨーロッパの事情も今とはずいぶんと違っていただろう。アケルマン、二十代の作品で、恐ろしいほどの早熟である。女性監督だった。こちらも眼差しの映画だといえるかもしれないが、ドゥヴォスのそれとはおよそ違っていた。
長いタイトルの方は、近年、英国映画協会が「史上最高の映画100」で第一位に位置付けているらしい。ジェンダーへの関心が高まってのこととも聞く。もとよりこうしたランキングそのものが怪しいのだろうけれど、かつては小津さんの「東京物語」が、オーソン・ウェルズの「市民ケーン」がナンバーワンに選ばれていた。
その「コメルス河畔通り23番地」は、一人の主婦が住む所番地であろう。ハイスクールに行っている息子がいる。バスケットに入れられた隣人の赤ちゃんを短い時間、預かったりしているが、その一方で主婦は家で売春をしている。そのとんでもない乖離を、引き裂かれているというふうにも感じさせないで、カメラを動かさず、いくつかの視点に限って、定点観測のようにして撮っている。説明は一切ない。延々と日常が繰り返されて、映画は3時間を超える。さすがに長い。
ラストで売春の現場が写される。主婦はそこで初めてオルガスムスを感じてしまうのだ。行為の後、彼女は立ち上がって客の男の腹をハサミで刺して、殺す。映画の内容を私はなにも聞かされないで見ていたのだけれど、そういうものかと驚きもなく、その場面を見た。話の筋を追うような気配は最初からなかったからだ。
「アンナの出会い」は女性の映画監督が自作のキャンペーンでドイツの都市へ行く。主人公の設定としては成功者である。しかし劇中のこの女性監督の、どこを見てなにを考えているのかが分からないような、この世にはいないかの如くに感じられる虚無感は、なんとも独特だった。女優の表情もよかった。
見知らぬ男をホテルに連れてきてベッドを共にしはするものの、突然、服を着て出て行って、と言い放ったりする。列車でパリに戻る途中、ブリュッセルで降りて、深夜の駅で母と会うけれど、家には行かない。ホテルであれこれと母に話す。イタリアで女の子とセックスをした話も入ってくる。パリに戻っても待っていた男と上手くいくふうでもない。自分の部屋に戻って、ベッドで留守番電話の録音を聞いているのがラストシーンである。いろいろなメッセージの中に、女の声でどこにいるの、と聞こえる。
こんな映画を撮っていては死んでしまうのではないかと思いながら、アケルマンの経歴を辿ってみたら、自死していた。でも若くしてではなく、母が亡くなった後でのことで、六十五歳になっていた。シャンタル・アケルマンの母方の祖父母がアウシュビッツで殺されていて、母はそこでの数少ない親戚の生還者だった。Wikipediaで知った。
ネットでシャンタル・アケルマン特集が配信されていたので何本かを見た。「アンナの出会い」と同時期に撮られている「家からの手紙」というドキュメンタリーが良かった。十代で単身アメリカに渡ったころのこととして描かれている。
早朝に車が動き始める街の描写から始まって、ニューヨークの無機質な市街、地下鉄などが写されて、街のノイズに交じって、娘を思う母からの手紙が何度となく語られる。切々としたその手紙を読んでいるのはシャルタン自身だろう。シャルタンがどんな返事を出していたのかは分からない。母の手紙から間接的に聞かされるだけだ。
カメラを据えっぱなしにして地下鉄の車内から窓外を撮ったショット。車両が暗闇に入れば窓に映りが生じ、また駅に着く。それがワンショットのままで繰り返される。あるいは駅のホームの長いフィックス画像。左右から電車が入り出て行く。ホームをふさいでいた電車がなくなると、人がいて、カメラはただ黙ってその姿態を見ているだけだ。
普通だったらやらない望遠レンズでの長い横移動、ときに俯瞰気味に撮られる遠近を圧縮したショットの怖くなるような感覚、ラストはハドソン川から離れていく船上からの撮影で、マンハッタンのビル群が霧に包まれるように遠景になってぼやけていく。シャルタンはどこにいるのか。自身は写らないが、至る所にいる。見えている距離が、それを指し示している。立派に映画である。
初期の映画のスタイルから考えると意外な気がするが、その後の何十年間で、様々なジャンルの商業的な映画も撮っていた。多作だった。テレビもやっていたかもしれない。ミュージカル仕立てのコメディは群像恋愛劇、そんなものがあるのかどうかわからないが、オシャレで楽しいのに、誰もがどこかで破綻している人たちである。
「アメリカン・ストーリーズ/食事・家族・哲学」は、アメリカに渡ったユダヤ人のポートレートふうな告白を、語られる中身は痛切なのに、ナンセンス喜劇のごとくに虚実ないまぜにして綴った不思議な一篇。
この人はなにを撮るにしても、芝居をまともに組み立てようとすることなど端から興味がなかったのではないか。リアリズムのもととなる暮らしの現実性を忌避している。アケルマンはこの世に「私」がいる、「私」が在ることを、自明のこととしては受け入れてない。そんなことでは映画は撮れないはずだが、だからこそ、いつも距離を測りかねて、注視する。見つめを持続する。冷厳である。
ユダヤ人としての苛烈な歴史がそうさせるのか。ジェンダーの視点がそうなさしめるのか。
ドゥヴォスの静かな見つめは希望だったけれど、アケルマンの「投げやり」ともとられかねない大胆な見つめの手法は、虚無から、深い絶望から、眼差されている。見つめの眼差しは断然こちらの方が強い。残念だけれど、そういうものなのだろう。
でもそこで終わってはいけない。受動のよろこびを更に深めていくにはどうしたらいいのか。

【事務局より訂正とお詫び(2024/04/29)】
文中の映画監督の名前に誤りがございました。
ベルギーの女性監督シャルタン・アケルマンは、正しくはシャンタル・アケルマンでした。
訂正してお詫び申し上げます。

4Kレストア版

2024/03/13

「眠る男」の「4Kレストア版」がようやく出来上がった。ようやくと言うのは、以前から企図していたものだったけれど、資金面で躓いていたからである。デジタル化には何百万円もの費用がかかる。それだけかけても旧作の上映でその分を取り戻すのは容易ではない。クラウドファンディングでやろうかという話も出たけれど、そういう性質のものかどうかわからなくて、そのままになっていた。それがここにきて急遽、動いた。
かつて松竹で私のDVDボックスを出してくれた角田誠さんが株式会社イクシード(以下、イクシード)という会社に私をつないでくれた。話をしてみたら、会社の代表を務める中野真佳さんのお父さんを私は知っていた。「株式会社ビジョン・ユニバース(以下、ビジョン)」という会社をやられていて「眠る男」の時にお世話になっていたのだ。
「眠る男」は私が映画で初めてCGを使った作品である。夜の川面、遠くを走る夜汽車の明かり、葬儀場の煙突から出て山の方へとたなびいていく煙などで、ごく限られたショットだったけれど、単純なマット合成だけではなくて3Dでのアニメーションもあった。
ロサンゼルス(以下、ロス)でCGディレクターをしているアートさんという知人が私にいて、そのロスでの作業と日本側とをビジョンが橋渡ししてくれたのだった。CGについては私も素人だったが、その私がこの社長は仕事のことを分かっているのだろうかと心配になるような方で、些事にこだわらない豪快な人だった。経営の勘のようなものを独自にお持ちだったのかもしれない。表参道とロスとに事務所があって、ロスのそれはびっくりするような大きな邸宅で、きれいな女の人が二人、三人、侍るようにいた。今でいえばセクハラ、パワハラの権化のような人だったかもしれない。なぜか私は可愛がられた。
私もロスに出向いて仕上がりを確認に行ったりしていたのだけれど、当時のコンピューターはなにせ動きが遅かった。ちょっと複雑な指示を出すと、レンダリングに一晩を要するような時代だった。時間があるので誘われて貸しクラブでゴルフまでやった。
三年前に亡くなられていた。イクシードにご挨拶に伺うと、奥様がわざわざ出迎えて待っていてくれた。私は初めてお会いしたのだが、ビジョンはまだあって、私がそちらをやっていますとおっしゃっていた。中野真佳さんはお父さんの存命中に別会社を起こされたのだろう。当然ですね、と私が言うとみんなで笑ってしまい、昔話に花が咲いた。そんな縁があって、今回、赤字を承知で4Kレストアを引き受けてくれたのだ。

レストアはリマスターなどとも言われていて、語義的には元の状態に戻す、修復するなどで、車や家具などをリマスターするなどと使う。ただ映画の場合、そこにはもっと積極的な意味合いがある。フィルムは保存状態にもよるけれど、年月が経つと劣化や褪色を免れない。これをデジタル化していい状態に再生していく。ただ元に戻すだけではなく、再創造と言ったニュアンスもある。
ネガフィルムに光を当てて一コマずつスキャンして電気信号に変えていく。「眠る男」は一時間四十五分の尺数だから百五分、秒数に換算すると六千三百秒である。フィルムは一秒に二十四コマ回転しているのでこれを×と十五万千二百という計算になる。近頃はスキャニングの自動化がだいぶ進んだと聞いているけれど、それでも多くは技術者による手作業になる。ロスでお目にかかってはいなかったけれど、ビジョン時代からのカラリスト、大ベテランの田嶋雅之さんが担当してくれた。
フィルムの反り、パーフォレーションの歪みからくる画面の揺れ、パラと言われているネガについた傷、やらねばならないことはたくさんある。
フィルムの持つ情報量はデジタルのそれよりもはるかに多いのだけれど、白は飛び過ぎてはいけない、黒はこの光量ではつぶれてしまう、そういったラティチュード、許容の範囲というものがあって、その先は映画館で見ても違いが分からない。でも目に見えていなくても、そこでの微妙な諧調は情報としてフィルムには記録されている。
これがデジタルに置き換わる。電気信号だから、ラティチュード、ダイナミックレンジともいうようだが、それが格段と広がる。ただ広がれば広がったことによって逆に見えなくてもいいところまで見えて来てしまったりするし、画面のバランスが壊れるところも出てくる。それをグレイディングという作業で整える。色調や諧調、コントラストなどを調整する。カラリストの腕の見せ所である。
フィルムの褪色は三原色それぞれで劣化の進行が違うらしい。あるショットの特定の色だけをいじるのはアナログでは難しいけれど、デジタルでは容易にそれが出来る。そもそも色を見せる、感じられるものにしていく原理が違っているからだ。技術的には未だよく分かっていないから間違えていたらごめんなさいなのだが、R(赤)G(緑)B(青)に振り分けられた光の波長を、それぞれ二百余りの諧調で記録していけば千六百万ほどの色が出せるらしい。RGBの諧調をさらに細かく上げて行けば億を超える色も可能とのことだ。
ただ色は、ものの形を認識していくのと違って、単独での絶対値と言ったものがない。認識というよりは、感じるものなのである。補色という言葉があるように、色は頼り合っているとも言えるし、あやふやで頼りないとも言えるかもしれない。赤を長く見ればその赤が網膜に残って次の色に引きずってしまう。カラリストの田嶋さんは、十秒以上は同じ色を見ないと言っていた。問題は、デジタルで「新たに」作り出される色を映画でどう使うかだろう。

映画はフレームで切り取られているから、両の眼で見ている普段の私たちの視野よりもずいぶんと狭い。そのスクエアの平面でなにもかもがくっきりと形を成し、色鮮やかに見えてしまっては疲れる。神経が持たない。ぼけていてちょうどいい、というところもあるだろう。あくまで描かれる中身に即して、感情に揺り動かされて、見えるものだ。
今はほとんどの撮影がデジタルで撮られている。デジタルでの撮影現場は、RAWデータでとにかく情報を漏らさず撮っていればそれでいい、というようなものに変わってきているらしい。後のグレイディングでどうにでもなると考えてしまうからである。気持ちも感情も追い求めない撮影現場とは一体どういうものだろう。
「眠る男」の「4Kレストア版」で、ロングショットの力がフィルムのときと比べて表現として格段に強くなったと感じられたところが幾つもある。屋外での能の舞台があるのだけれど、面(おもて)も衣装もひたすら美しい。背後の緑にグラデーションをつけようとして撮影時に美術部が植えた竹の林が狙い通りに揺れている。
四月になったら「伽倻子のために」のグレイディングに入る。楽しみである。

小栗康平

「小さな映画」

2024/02/20

昨年末に佐伯剛さんからメールをいただいた。忘年会と称する呑み会で前田英樹さんたちと会った二、三日後のことである。
「おはようございます。面白いことを発見しました。ビクトル・エリセは「ミツバチのささやき」が一九七三年、「エル・スール」が一九八二年、「マルメロの陽光」が一九九二年なのでビクトル・エリセも十年で一本ずつ。今回でようやく四作品目。小栗さんは「死の棘」が一九九〇年で「眠る男」が一九九六年で、この間隔は短いですが、その後の「埋もれ木」が二〇〇五年、「FOUJITA」が二〇一五年ですから「眠る男」からの三本はエリセと同じく十年ごとですね。そしてエリセより多い六本。すごい(笑)
エリセは、三本の次が三十一年ぶりですが、そこまで余裕をもって欲しくはないですが、焦る必要はないですね。」
エリセの新作「瞳をとじて」が近々公開になる、そんな話が佐伯さんからあったからだったのだろう。エリセと比べて論じられてはこちらも笑うしかないのだけれど、そうやって私の気持ちを後押ししてくださる友情はなんともうれしい。
このメンバーで呑むと話の最後はどうしても次の映画はどうするのですか、となる。雑談がここまで来ないとお開きにならないのだ。前田さんのお好きな「雪の茅舎」の一升瓶は空になっている。その夜も「小さな映画にする」が話になった。
その夜もというのは、このところ話の向きがいつも決まってそっちに向いてしまうからだ。小さなとは題材も予算規模も、である。この二つ、当然ながら切り離せない。分かりやすいところから考えれば、撮影場所を限定してあちこちに動かないこと。人物の出入りも少なくする、である。やむに已まれず、ではあるけれど、積極的な手法とする考え方だってあるはずである。
観世寿夫が『心より心に伝ふる花』の中の「「芭蕉」と禅竹」でこう記している。
「何か舌足らずで誤解をまねく恐れを感じるのですが、世阿弥や禅竹は能作の上で表面的な筋の葛藤の虚しさを感じてしまったのではないだろうか、そこで事件の経過や発展には豪末も重きを置かない抽象的な手法を夢幻能の形で創りだしたと考えられる。」
誤解をまねくかもしれないと留保する心づかいは大事にしなくてはならないとしても、「豪末も重きを置かない」と言い切ってしまいたい気持ちは今の映画界をみればまったくそのままである。

前田さんは二十分程度の短編をいくつかつなぐようなものでもいいのではないかと、ご自分で書かれた「畸人」の思想(その一・二)という文章を以前に持ってきてくださったことがあった。保田與重郎が昭和三十九年に新潮社から出した『現代奇人伝』を評したものである。有名無名の市井の人の評伝、交遊録で、映画になるエピソードがたくさん詰まっていますからと渡されたのだ。一篇が描く長さと深さがとてもいいものだった。物語なるものが動き始める前に話は切り上げられる。
前田さんが『現代畸人伝』の一つの頂を成すと紹介している個所をこの後に孫引きする。恥ずかしい話だがその畸人、前田普羅なる俳人を私は知らなかった。保田の桜井の町の家に普羅が遊びに来て、色紙や短冊に句をしたためる。「秋風の吹き来る方(かた)へ帰るなり」。「月さすや沈みてありし水中花」、こちらは保田が所望したもののようである。普羅は関東大震災で東京を引き払って越後に住んだ。老妻に先立たれたあと都営か何かの簡易住宅で死を待った、と保田は書いている。普羅が帰ると言うので保田が駅まで送っていったときの描写である。

「四辻の角には五十年近いまえから理髪屋がある。そこで少し道は曲がっているのだが、曲がりがてらにその店の鏡をふと見ると、一人とぼとぼと歩いていく、絵で見るように侘しい人の姿だった。しかもその後からまた異様な侘姿がぼそぼそとついてゆく。先が普羅さん後が自分ということに気づく瞬間を、私は遠い遠い時代をへてきたようにおもった。それは将睡時の夢の時間に似ていた。」

送って別れて家の座敷へ坐って、保田は秋風の句を口吟して泪をぽろぽろとこぼす。前田さんはそこにこう続けている。「鏡に映った瞬間、保田は、言うなれば、そこに久遠のこの時を視たのであろう。鏡がこれを視させた。現身のはるか下の方で、この今もゆき続ける時の流れが在る。普羅さんは、今日また、その流れの底へ帰るのか。」
いかにも見事な画像である。現在と過去とが重なって、そこにあることがくっきりと分かる。しかしこれが撮れない。映画では撮れない。「流れの底」が写らない。見えていることのサイズが違うのだ。あくまで文学が捉える描写である。「書く人の内深くにある寂寞とした祈りが響く」(前田)ばかりである。
「傑出した批評眼の孤独を、これほどまで生々しく感じさせ(中略)他人への優しく濃やかな筆遣いは、そのまま不気味な霊異の闇に入り込み(中略)近代小説のはるか上位に立つ批評の文学の威力」と前田さんは書いている。
その「畸人」の思想が本の後半に入って『保田與重郎の文学』という大著が昨春、上梓された。三十七章、八百ページに近い。時勢から言えば尋常ならざる本である。ここまで保田の全貌を論じた本はない。この大著、読みこなすにはまだまだ時間がかかる。
私は保田のデビュー作となった『日本の橋』を学生時代に読んだ程度で「芭蕉」も戦後の「日本に祈る」「絶対平和論」も未だ手付かずである。私に力がないから前田さんの提案はお流れになり、また「小さな映画」を探すことになる。

「FOUJITA」の照明技師をやってくれた津嘉山誠さんは、若いころ農村で何百頭もの牛の世話をしたり、小川伸介プロで山形の合宿生活を経験されたりもしてきたらしい。不思議なやさしさをもった人で、世田谷の住まいのテラスには野良猫やアライグマたちが集まってきているそうである。
会えばいつも、監督、早く撮りましょうよ、である。撮ってもなあ、小屋があかないよ、と言うと、ネットフリックスではだめですか、と聞かれる。確かにそういう流れが世界的にもなってきている。ネットフリックスの日本事務所が出来て間もないころに一度、訪ねたことがある。日本の代表者がアメリカ人で、その奥さんが「FOUJITA」の製作をしてくださった井上和子さんの大学の後輩、よく知っている人だった。いわば井上さんと私は二人して表敬訪問したのである。その後、井上さんがその奥さんをお呼びして一席を持ってくれた。オウム真理教をやれないでしょうかと逆に提案もされたのだけれど、私は具体的にはなにも動かなかった。
ネットフリックスよりもNHKはどうだろうか、ラジオ深夜便ならぬ映画深夜便、と私。出演はしたことはあるけれど、実際に番組を聞いたことはない。年配者が深夜なのか明け方なのかは分からないけれどよく聞いているらしい。老いをテーマにして短編を続けていく。面白いと思います、私がいい俳優さんをリストアップします、と津嘉山さん。その津嘉山さんからは後日にメールがあって、いいと思っていた俳優さんはもうみんな亡くなっていました、だった。この企画、いまだ提案にも至っていない。

佐伯さんはご自分でも書籍の出版をされているので、流通の仕組みをよく知っている。それがあまりにもひどいもので、ほとほと嫌になって今は直販されている。映画は書籍の製作と比べて額が一桁も二桁も違うから書籍とはまた別な、呆れかえるような慣習が配給、宣伝の流通部門でまかり通っている。外資系のシネコンも入ってきてはいるけれど、大手の興行では旧態然として独占禁止法に触れるような圧力もかかっている。
カンヌで映画祭の期間中にどれほど優れたパブリシストをつかまえられるかが勝負なんです、といった話を聞いたことがある。パブリシストとは平たく言えば広報担当者のことで、メディアとキーパーソンとをつなぐ人らしい。プレスリリース程度のものは書くのだろうけれど、批評家ではない。要は人脈を持った人ということになる。カンヌではそうした人に何百万円のギャラを支払うという。日本でも新作の試写の呼び込みはそうした人たちがやる。試写室の入り口で見張っていて悪口しか書かないような奴が来たら、お前は見たいのなら金を払ってみろ、と私などは言って追い返してみたいのだが、もちろんそんなことはできていない。「FOUJITA」のときにこれもNHKなのだが、「ブラタモリ」という人気番組があって、なんとかそこに取り上げてもらってタモリにぶらぶらしてもらえないものかと画策したらしい。当然のことながら成立はしない。そんなことまでして映画を公開までもっていく。冷静に考えてみると常軌を逸しているとも言えなくもない。どれだけパブリシティが多く出たか、それを「露出」という。宣伝費のない映画はそこが頼りだ。しかしそのパブに今どれだけの書き手がいるのか。だったら極小の規模で映画を作る、国際映画祭なるものも劣化していきているのだから当てにしない。自前で見せたい人だけに、見てほしい人だけに、と考えるのは横暴だろうか。

「死の棘」の冒頭のカットとラストのカットは、ともにミホとトシオが正面を向いている。でも光はまったく別な作られ方をしていましたと津嘉山さんが発言されて、そこにかさいあさこさんという方がいらっしゃった。「根の水」という詩集を自費出版されて私もそれをいただいている。北千住での私の特集上映まで、映画は佐藤真の「阿賀に生きる」しか見ていなかったらしく、「伽倻子のために」を見て「かなしくて、うつくしくて、かなしくて、まいりました」とメールを下さった人だ。
津嘉山さんが指摘していた同じところを文芸評論家の佐藤泰正さんが新聞に映画批評として書いてくれていた。二人は正面を向いているけれどラストのそれは祭壇に向かっている、と。原作者の島尾敏雄さんも「死の棘」で信仰のことについてはなにも触れていない。しかしキリスト者になってからまとめられた小説である。なんとか祈りの一端には触れてみたいと思っていたけれど果たせることではなかった。
病院でミホがいなくなってしまって、死んではいないかとトシオが病院裏の貯水槽を竿でかき回すロングショットがある。夜間である。ここは神の広場として撮りたい、そんなことをスタッフに言ったことはあった。でも映画で信仰に触れられた感触はなかった。それを当の本人が思いもしなかったところから、祭壇とおっしゃって下さったのだ。かさいさんがそれをぜひ読みたいという。佐藤さんは梅光大学院におられたので山口の地方紙だったと思います、今はもう手に入らないかもしれないけれど、スクラップが残っていたと思うので帰ったら探してみますといってそのままになってしまっていたら、そのかさいさんから「佐藤泰正著作集 十二巻」を古書で見つけ出したらそこに「映画「死の棘」を観て」という一文が収録されていましたとメールが来た。でも初出は毎日新聞で、祭壇という言葉そのものは使われていなかったけれど、もう十分です、ありがとうございました、お手を煩わせないでくださいとある。かさいさんはキリスト者かもしれない。
 私は私で、そうかなあと半信半疑なまま、スクラップをひっくり返してみたが、探し物は出てこない。滑った転んだを含めて有象無象のパブなるものが山のごとくにあった。こんな言い方をしては叱られてしまうけれど、それらも今となってはごみの山である。公開当時というのはこんなふうにあれこれと引きずり回されていたのかと、改めて映画の仕組みの怖さを思った。
 結局、肝心の地方紙は出てこなかったのだけれど、佐藤さんから頂いた手紙が出てきて、なんと私は佐藤さんの大学に呼ばれて講演をしていたのだ。もしかしたら食事なりの席で話が「死の棘」に及んで、佐藤さんから祭壇の発言があったのかもしれない。それを時が経るとともに毎日のそれに私が勝手に繋いで捏造していたことになる。人の記憶は当てにならない。

さてここからがエリセの「瞳をとじて」の感想である。大いなる期待をもって見たのだが、残念ながら拍子抜けするほど想像していたものとは違っていた。私の期待はどんなだったのか。
「ミツバチのささやき」の直截さは今もって忘れ難い。少女アナが村に来た移動映画で「フランケンシュタイン」を見る。アナが見た初めて映画だったのだろう。虚構と現実とがないまぜになって、アナの内で世界なるものが形作られていく。スペインでの内戦の傷跡らしきものがアナの家庭にもある。兵士が一人逃れてきてアナが助けるけれど、射殺されたようでもある。家の佇まい、路地、荒れ地、じつに端正な画像だった。
その監督が三十何年もして長編の映画を撮った。私はエリセがどんな思索を深めてくれたのかと楽しみにしていたのだ。古井由吉さんの最晩年の作品のように、モノローグがいつしか時制を変えていて、モノローグもダイヤローグに置き換わっている、そんなふうなもの。でもエリセの映画はただの会話の劇だった。
元映画監督(この言い方は他人事ではない)が撮影途中で失踪してしまった俳優を探す話である。その中断してしまった撮影以来、映画監督から退いて、その後は小説も書いたりしたようだけれどそれも売れたふうでもなく、今は雑文を書いたりしているらしい。その元監督がテレビの「未解決事件」という番組に出る。俳優は何故いなくなったのか、失踪当時は海への投身自殺という説もあったようだけれど遺体は上がっていない。真相を追いかけたいという思いもあったのだろうけれど、テレビ出演の動機はそこで使われる映画の部分使用、その二次利用料が入るからだ。些か自虐的である。
「未解決事件」がオンエアになって、見た人からその俳優によく似た人がうちの老人看護施設にいると連絡がある。それをきっかけとして過去、現在がさまざまに付き合わされていくのだけれど、俳優は何故いなくなったのかは分からない。施設に運ばれてきたときには記憶を喪失していたからだ。元監督は未完のその映画を見せる。それで記憶が戻ることを信じて、である。
そうやって映画は話そのものを追っていくことになるから、場面、場面でいったいどこで話を切り上げるのかと心配になる。切り上げられないからそれぞれのシークェンスはフェードアウトされていく。小津さん(小津安二郎監督)はそうしたやり方を小手先の技術であって映画の誤魔化しだと嫌った。
ショットはその切れ際、フレームの切れ際、終わりの切れ際、つまりはそのショットの時間の切れ際と、次に来るショットの空間と時間との接触、つながり方にこそ、映画言語のなんたるかが潜んでいるのではないかと私は考える。
少女アナを演じたその人がアナという役名でそのまま出演している。「私はアナよ」と「ミツバチのささやき」と同じセリフもあった。私は映画フリークではないから映画内映画のどれとどれとが関連してなどといったことを探る愉しみをもたない。

話は変わる。昨年、久しぶりに岸部一徳と会って飯を食った。タイガースのメンバーが集まってジュリーの七十五歳(!)の誕生日コンサートを埼玉アリーナでやるのだという。埼玉アリーナは三万人ほど入るのだけれど、前回、ここでのコンサートをジュリーはドタキャンしたらしい。約束と違ってチケットが半分しか売れていなかったからだそうだ。そのリベンジもあって少しでも応援できればと、インタビュー嫌いの岸部が週刊朝日のロングインタビューを受けた。廃刊までの最終三号連続のそれである。
タイガースとしてはもうこれが最後になると思いますと言うので、だったら見せてよ、というと、本当来ますか、だったら席を取りますよと言って、ボックス席を一つ用意してくれた。そのことを家族に話すと小学生二年のチビたちも含めてみんなが行くという。家族総出のお出ましになってしまった。
埼玉スタジオと埼玉アリーナの違いも私は分かっていなかった。大宮から一駅なのだが、ホームの雰囲気がなにやら違っている。年配の女性たちが圧倒的に多いのである。そうかそういうことなのかと、改めてその日の催しの中身を知った思いだった。
ジュリーはまだ声が出ていて、いいコンサートになった。聞いたことのある曲、程度にしか私は知らないのだけれど、歌がいいところに差し掛かると、車椅子の人も立ち上がって両手を左右に揺らす。ボックス席はゴンドラのような高い位置にあるので全体が見下ろせる。会場そのものが揺れているように感じられて、歌の力は凄いなあと感心させられると同時に、なにやら群衆の中の老人の孤独といったことが頭をよぎって、胸が熱くなった。
週刊朝日のインタビュー記事は岸部くんの半生を辿っていて、いいものになっていた。編集長が書き、マネージャーも頑張ったのだろう。岸部はあらためて自分が音楽少年だったことを思ったという。そのことを気づいたときに、ああ、自分は人にいい俳優だと言われていて、その像そのままにいい俳優であろうとしていないか、そうではない、みんなから忘れられるようにだんだんと消えていくようであればいい、そんな発言もあった。
コンサートの感想とお礼もあって新宿で飲んだ。消えていこうとする岸部くんそのものを主人公にして映画が考えられたら出てくれるかねと質問した。もちろんいいですよ、と即答。でもあと二年くらいですかね、だった。うーん、あれもこれもいまだなにも煮詰まらない。
夜のニュースで関東地方に春一番が吹いたと報じていた。私の住む北関東でも強い風が予報されていたがさして吹かなかった。ところが夜半から明け方にかけて怖くなるような猛烈な風が吹いた。
夢を見た。私は撮影している。

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2024年04月01日
小栗康平監督×建築家・村井敬さん、トークイベントのお知らせ
2023年08月14日
小栗康平作品、特集上映のお知らせ
2023年07月14日
『泥の河』上映のお知らせ
2019年07月05日
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