小栗康平 手記

映画の「自由」

2024/01/19

私はヴィム・ヴェンダースと同じ生年である。若くしてドイツニュージャーマンシネマの旗手の一人としてデビューして以来、今日まで数々の映画を残してきたヴェンダースと比べられるようなものは私にはなにもないが、年数だけは同じく数えてお互いにいい歳になった。
老いれば映画が撮りにくくなる。普通に考えればそうである。映画のお客さんは相対的に若い。日本では顕著にそうだ。年配者が夕食を終えて夜の上映を見に行くなどという文化もこの国にはない。
青春映画は掃いて捨てるほどあるが、老年映画は成立しにくい。そういう事情もある。映画の、写し撮るという原理の難しさがそこにはあるかもしれない。在ることを撮るとは、在ることを肯定していく行為だから、どんないのちの様にも直接に向かい合わなくてはならない。その押し合いというか力比べに負けてしまうと、監督という行為は成立しない。
新作の「PERFECT DAYS」はどうだったのか。私にはヴェンダースのやりたかったことが見えないまま、後味の悪さだけが尾を引いて長く残った。
映画をたくさん見ている友人に感想を聞くと、あの内容で一本の映画を作ってしまい、しかもアカデミー賞の日本代表なのですから、日本映画はもっと頑張らなくてはいけませんね、だった。それはその通りで返す言葉もない。
あの内容でという事情はこうである。映画より前に、著名な建築家たちに声をかけて渋谷区の公共トイレを新しくしていく取り組みがあった。発案者はユニクロの創業者のご子息で、もともとは東京オリンピック・パラリンピックの「おもてなし」として考えられたものだったらしい。そのオリンピックはパンデミックもあって惨憺たるものになった。オリンピックなるものの意味のなさが露呈した大会だったと言ってもいい。だからなのかどうかは知るところではないけれど、この建築的にも面白いトイレを周知してもらうために、ヴェンダースに短編映画を依頼したのが始まりだったと聞く。それが一本の劇映画にまでになった。
しかしそんなことはじつはどうでもいいことだ。経済を含めて映画の企画の出発はどんなことだってありうるからだ。きっかけはなんであれ、問題はその映画がどう現出したか、である。監督が映画なるものをどうこの世の中に現れ出したか、である。
ヴェンダースは役所広司が演じる清掃作業員に平山という名をつけている。スタッフもキャストもみんなが平山さんとさん付けして呼んでいたらしい。言わずと知れた小津映画の役名で、笠智衆がいくつもの作品で演じてきたものだ。敬意を表しては分かるけれど、冗談の域を出るものではない。
ヴェンダースがこれまで基本としてきた映画のスタイルは、ロード・ムービーである。世評の高かった「パリ・テキサス」を私は好まないが、「ベルリン・天使の詩」も天使たちが旅するロード・ムービーだと見れば納得がいく。しかし平山は旅する人ではない。一つ所で生きていく生活するものだ。小津さんのいたこの日本を旅しているのはヴェンダースで、平山ではない。ではそのヴェンダースに今の日本はどう捉えられたのか。なんともステレオタイプなままで終始していなかっただろうか。
役所広司がカンヌで主演男優賞を獲ったのは慶賀すべきことで、貰えるものはなんでも貰えばいいのだけれど、あの平山の演技でいただくのは、当の本人、面映ゆくなかったかと心配になる。
というのもこの清掃員、平山の役柄は誰もが当たり前に抱える日々の煩雑さを消し去ることで作られているからだ。人物としての根に降りて行く道が最初から閉ざされている。人生のなにかを捨てて温和に単調に日々を過ごしているのではなく、トイレの清掃員を清々しく描くために、暮らしの些事は捨て去られなくてはならないのだ。役者に出来ることは人柄よく、だろうがそれだけでは表層にすぎる。
多くのコマーシャルがいかにも平穏な日常とともにあるかの如く見せかけられているけれど、暮らしの負のリアリティは持ち込まれない。そんなものを連れてこられては購買という夢を壊してしまうからだ。日々のルーティーンが決まって繰り返されるのは、それがつつましい生き方だからではなく、「PERFECT DAYS」に宣伝として条件づけられていることだったとしたら、身もふたもない話だ。目的を持った広告としての画像と、映画のもつ根源としての自由を私たちは見分けられなくなっている。

私は篠田正浩監督の「心中天の網島」「卑弥呼」の二本に助監督としてついている。小栗くんの師匠は浦山(桐郎)だろうから小栗くんは私のところを飛び出ていった不良息子だ、とそう言って目をかけてくれてきた。その篠田さんは「スパイ・ゾルゲ」を最後にして映画を撮っていない。ゾルゲは篠田さん七十二歳の時の作品だからもう二十年になる。
いっしょに昼食をとったときに篠田さんからこんな言葉が洩れた。もう僕の映画のお客さんはいない。これほど途方に暮れ続けたことはこれまでにないと、振り返ってそういうのである。すべて徒労、そんな発言もあった。
篠田さんの言葉を正確に受けとめられたのかどうかは分からないけれど、二進も三進もいかなくなっていた私にも同じ感慨があった。私は篠田さんより十歳以上も若い。でもそうだった。映画監督たる自分はいったいなにをしてきたのか、なにが出来てきたのかと、無惨なままの自分を思うしかなかった。それはいまも変わらないかもしれない。
篠田さんは烏山カントリークラブというゴルフの名門コースの理事長を長く続けられてきた。若くして交通事故で亡くなった佐田啓二を偲んで映画人がよくコンペをしてきたところらしい。赤いポルシェを駆って日帰りでプレイするほど篠田さんはお元気だった。それが年齢とともに脊柱管狭窄症を抱えるようになって長い距離を歩けなくなった。ゴルフという競技は正式にはカートに乗ってはならないものらしい。自分の足で歩いてホールアウトしないと正規のスコアとして認められない。だから最近、理事長職を降りたという。
ゴルフをやらない人にはこういう話ではなにも伝わらないだろうし、なにを能天気なことを言っているんだと叱られそうだが、私にはわかる気がした。映画監督という仕事の体感的な行き詰り方は似ているのかもしれない。
ヴェンダースは平山さんを演じる役所広司をドキュメンタリーのようにして撮ったと発言しているけれど、実際リハーサルもなく撮られたシーンが大半だったかもしれない。トイレ掃除をフィックスのカメラで撮っても仕方がない。演技というものではないからだ。手持ちのルーズな画が積み重ねられていくだけで、役者には演出家のどんな圧力もかかっていない。ご自由にどうぞ、である。
ラストシーンがいい例だ。軽自動車で仕事に向かう平山を単独で捉えたバストショットが長々と続く。セットだろう。人物の左右のわずかな抜けに窓外が流れていく。平山はいつも車でカセットテープを聞く。少し古い曲である。なにを思うのか、平山は泣き、笑い、あるいは充足して日々を振り返るのか、まったくの一人芝居である。役者の力がないと成り立たないショットではあるけれど、だからと言ってその芝居にこころが動かされたかと言えば、ない。微塵もない。そこが問題なのだ。見ている私自身のどんな悲喜にも触れてこない。芝居が方向づけられていないから、ニュートラルに中空に浮いたままだ。この同じショットを別な映画にそのまま持って行っても成立するだろう。そんな代替可能な演技などというものがあるはずがない。役者に映画を丸投げしてはいけない。映画はフレームという精神の枠で成り立っているからだ。

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